道を行い、道を楽しむ
私は西郷南洲翁を心から尊敬しており、憧れの存在です。四年前に山形県酒田市の南洲神社を参拝しました。出版されている『南洲翁遺訓』の本は、多分ほとんど読んでおり、どの章句も大切にしていますが、今回は特に第29章を紹介します。
「道を行う者は、固より困厄に逢うものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔(など)に少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人、出来ざる人有るより、自然心を動す人も有れ共、人は道を行うものゆえ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。故に只管ら(ひたすら)、道を行い道を楽しみ、若し艱難に逢うて之を凌んとならば、弥々(いよいよ)道を行い道を楽む可し。」
この章句を私なりに意訳すると、以下のようになります。
道を行う者は、困難に直面するのが当然である。どんな艱難にあっても、成功や失敗、死ぬか生きるかといった結果に囚われることはない。他人の行いに惑わされず、人は自然の道を歩む存在であり、その道には上手いも下手もなく、できない人もいない。だからこそ、困難な状況にある時こそ、道を進み、その道を楽しむことが重要だ。
これからも、折に触れて他の章句を紹介していきます。