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その頃、父は。【ゴミ屋敷からのSOS】#6

わたしと姉がゴミ屋敷の惨状に四苦八苦している頃、父は。





幸か不幸か、コロナ禍の入院は面会謝絶ということで、入院の手続き以来病棟に入ることは許されなかった。だから、父の様子は本人からのカタコトのメールで知ることになる。察するに、”検査検査で毎日疲れる…”だそうだ。
そうだろう、そうだろう。高校生の頃以来、医者に掛かっていなかったのだから。

なんと返信して良いか迷うから、「何か食べたいものは?」「欲しいものはある?」とメールする。

すると、「甘くないゼリー」「見やすい本」とだけ返ってくる。非常にざっくりしている。

カタコトのメールへの返しは難しかった。甘くないゼリーを探して、デパ地下、スーパー、コンビニ、薬局をハシゴする。見やすい本を探して、書店をくまなく廻る。正解はわからない。


病院に差し入れを届けたことをメールしても、ゼリーが美味しかったのか、本が好みに合っていたのか、一切返信はなかった。それから、偏屈な父はありがとうも言わない。ただ一言、”ごくろうさん”とだけ返ってくるのだった。




それから数週間後。残されたゼリーと読まれた形跡のない本が、父と一緒に帰ってきた。差し入れはなんでも良かったのかもしれない。外界と繋がっているということが、あの時の父の生きる希望だったのだ。

編集後記:カタコトのメールはまるで大喜利でした。父が亡くなった今となっては正解もわからないまま。入院しているときって、どんな差し入れが喜ばれるのでしょう。

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