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母がいた-42

長い東京旅行から帰ってきた。なんと2週間。たくさんの出会いを吸収して元気に帰宅。帰宅したのだが、普段引きこもっている僕が2週間も外泊したものだからその反動もあってか燃え尽きていて、最近はのんびり過ごしている。

今は夕方。近くにある高校から、元気な高校生たちの声が聞こえてくる。部活中だったり、下校中のおしゃべりだったり。僕も高校生のころ、友達といくらしゃべってもしゃべり足りなかったことを思い出す。箸が転んでもおかしい年頃というのは本当にあった。良い思い出だ。

そんな高校生たちの笑い声を聞いていて思い出したことがあるので、今日はそれについて書いていく。

母は、こどもたちの笑い声を聞くのが好きな人だった。昔住んでいた家は道路に面した戸建てで、家の前を通るこどもたちの会話が良く聞こえる家だった。朝の通学時間や夕方の下校時間、休日の昼間も。

母は窓の近くに配置されたダイニングテーブルに車いすで腰かけて、ハワイアンキルトを作りながらその声をよく聞いていた。高校生の僕が「話聞いてるのって楽しい?」と尋ねたことがある。なんて返されたんだっけな。

たしか、「そりゃ楽しいよ。だってミキちゃんとユウタくんは小3なのにもう彼氏と彼女になったらしい、最近の子はおませだね」とか「今日の給食はカレーで、アキラくんがじゃんけんでお代わりの権利をもぎ取ったらしい」とか言っていた気がする。

そんな地元のスキャンダルやニュースを聞いて、頭の中で小さな地域新聞を作っている、と言っていた。それを聞くと、たしかになんだか楽しそうな気がしてくる。自らが編集長となって一面記事を吟味したり、大きな見出しをつけたりするのだ。それをとても楽しそうに話す母が、僕は好きだった。

当時の母はもう自分で動き回ることが出来ず、僕や父と買い物・散歩に出かけるとき以外はベッドか車いすの上で過ごすことが多くなっていた。しかしそこはさすが母、動けないなら動けないで、動かずに楽しめることを見つけるのがとてもうまかった。

ハワイアンキルトに読書、ミニチュア集めに映画観賞。今日書いた「地域新聞編集業」もそのひとつ。自分の置かれた状況を最大限楽しむ才能を、あの人は持っていた。

人は、自分にないものを求めたり自分にはできないことを悔やんだりしてしまいがちだ。それは向上心にもつながることなので決して悪い事ではないのだけれど、今手元にあるもの、今できることを大切にするというのも素敵なことだと思った。足るを知るってこういう事なのかもしれない。

今、外から「エミ彼氏と別れたらしいよ!」「マジ!?」と女の子たちの声が聞こえてきた。今日の一面記事は、そのニュースにしよう。

自分にできることを最大限に楽しみ
僕にも楽しむ術を残してくれた
そんな、母がいた。

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