ですけ

福岡在住。デザイン・イラスト屋さん。 主に母についてのことを書いていきます。 いつか1冊の本にまとめたい。 モットーは心に優しく、です。

ですけ

福岡在住。デザイン・イラスト屋さん。 主に母についてのことを書いていきます。 いつか1冊の本にまとめたい。 モットーは心に優しく、です。

最近の記事

母がいた-42

長い東京旅行から帰ってきた。なんと2週間。たくさんの出会いを吸収して元気に帰宅。帰宅したのだが、普段引きこもっている僕が2週間も外泊したものだからその反動もあってか燃え尽きていて、最近はのんびり過ごしている。 今は夕方。近くにある高校から、元気な高校生たちの声が聞こえてくる。部活中だったり、下校中のおしゃべりだったり。僕も高校生のころ、友達といくらしゃべってもしゃべり足りなかったことを思い出す。箸が転んでもおかしい年頃というのは本当にあった。良い思い出だ。 そんな高校生た

    • 母がいた-41

      ぼくは今、東京にいる。 友人と3人で続けているポッドキャストのイベントを下北沢と高円寺で開催するためだ。といってもその2つのイベントは無事終了したので、あとは福岡に帰るまでの間、東京の知人友人に会ったり街を眺めたりするだけ。 今は友人が住んでいる上尾という街から新宿に向かう湘南新宿ラインの電車に揺られている。僕は太っていて場所をとるので、左右に座っているお姉さんたちにごめんねごめんねと念を飛ばしながらこれを書いている。 新宿に到着するまであと30分ほど。それまで色々書いて

      • 母がいた-40

        「産めるわけないじゃないですか」 妊娠したと知った時、母は医師にそう告げられたそうだ。母は当時31歳。すでに持病の病状はあまり芳しくなく、日常生活を送る程度であれば問題ないものの出産の負担には耐えられないと判断された。 「万が一命をかけて産んだとしても、かなりの高確率で障がいを持って生まれてくると思われます。足がないかもしれないし、目が見えないかもしれません」と続けた医師は、本当に出産させるつもりはなく、悪意は一切なくあくまで担当医師として冷静に判断を下していた。 一通

        • 母がいた-39

          先日、友人の買い物に同行した。友人はガンダムのプラモデルが欲しかったらしく、福岡で比較的多く取り扱っているお店に行き、お目当てのガンプラを入手していた。 僕はというとこれまでガンダムを通ってこなかったので、陳列されている完成品を見て「かっけー!」「かわいー!」などとはしゃいでいただけなのだが。 ガンプラを見ていて思い出したことがある。もちろん母について。 母も僕と同じくガンダムを見てこなかった人だった。アニメは結構いろいろ見ていたから、多分ロボットものにあまり興味をそそ

          母がいた-38

          今日はなんていうか、調子の悪い日だった。動く気になれなくて、本当に1日中ずっと寝ていた。僕にはたまにこういう日があって、そういう日は寝る以外対処法がなかったりする。今も気づけば夜中の3時になっている。 実をいうと母もメンタル的に不安定なところがあり、今日の僕のように「動けない日」がある人だった。人間だれしもそうなのかもしれないが、僕ら親子はそのあたりが少し顕著だったように思う。 僕と違い母は「動けない日」がくると、午前中の間にすべてを済ませてしまう人だった。夕食の料理から

          母がいた-38

          母がいた-37

          先週、盛大に体調を崩した。止まらない咳、39.2℃まで上がる熱、体の節々の痛み、と体調不良症状のオンパレードだった。流行り病ではなかったことが不幸中の幸い(高齢の父と同居しているので)だったけれど、普段あまり体調を崩さない僕としては大変にしんどい数日間だった。 熱にうなされて当然食欲も全くない僕が、唯一食べ続けられたものがある。 それは桃の缶詰だ。白桃の。あの半分にカットされたやつ。シロップ漬けの。僕は小さいころから体調を崩すと桃の缶詰しか食べられなくなる。それとポカリ。

          母がいた-37

          母がいた-36

          先日、はじめて取材というものをうけた。僕がこうして書いている「母がいた」を読んで、朝日新聞の若松さんという記者の方がnoteの広報担当さんを経由して取材の申し込みをしてくれたのだ。ありがたい話だ。 若松さんの取材はとてもとても丁寧で、わざわざ東京から福岡まで来てくださった上に僕が話しやすいよう合間に雑談を交えてくれたりもした。最初はがちがちだった僕も、若松さんの温和な態度で次第に緊張が和らいでいって、たくさんの話を引き出してもらえた。 そうして完成した記事が公開されたので

          母がいた-36

          母がいた-35

          今日、久しぶりにマインクラフトをはじめた。土を掘ったり、木を切り倒したり、建設したりするあのゲームだ。あっという間に時間が溶けるので封印していたのだけれど、どうしてもやりたくなってはじめた。 以前は任天堂スイッチLiteでプレイしていたからかカクつきが気になっていたが、そこはさすがのゲーミングPC、サクサクのぬるぬる。おかげでストレスフリーなプレイが出来ている。たのしい。 そうして久しぶりにゲームで遊んでいると、母とのゲームに関する記憶が戻ってきたので忘れないうちに書いて

          母がいた-35

          母がいた-34

          今朝、少し上等なわらび餅をたべた。姉からお土産でもらったものだ。本わらびを使った昔ながらのわらび餅で、なんと消費期限が1日しかない。悪くなる前にと朝ご飯に食べたのだが、これが本当においしかった。付属の黒蜜を垂らさなくても十分にやさしい甘さと、冷やされたつめたいわらび餅の喉越しが夏に嬉しい涼やかさを感じさせてくれた。美味しいお土産をありがとう、姉。 甘い和菓子を食べているうちに、母の「疲れのバロメーター」について思い出したことがあるので、忘れないうちに書いておこうと思う。

          母がいた-34

          母がいた-33

          まだまだ暑い日が続いているけれど、なんとなく夏の終わりの気配を感じている。夕焼けや夜の虫の音を聴いていると、向こう側から秋が少し顔をのぞかせている。 高校生の夏、今くらいの時期だったか、母の車いすを押してスーパーに買い物に行ったことを思い出した。アイスが食べたいね、という母に賛同して、夕暮れにふたりで買い物に行ったんだった。 当時の母はあまり体調が良くなくて、もう少ししたらまた入院かもね、なんて言っていた時期だった。結局母はその少しあとに入院して、そのまま他界してしまった

          母がいた-33

          母がいた-32

          なんだか久しぶりに朝早く目が覚めた。お腹がすいていたので、ご飯を炊いて母の遺影に供える。遺影を見ていて思い出したことがあるので、忘れないうちにここに書いておこうと思う。ちなみに朝ご飯はカリカリベーコンエッグ(黒胡椒多め)と小松菜のお浸し、海苔の佃煮だった。うまい。 母が他界した際、遺影をどれにするか、という話になった。突然亡くなったわけではないので僕ら家族はそれなりに覚悟と準備をする時間があり、遺影の候補をいくつかまで絞り込んではいたけれど、決めかねていたのだ。 結局、以

          母がいた-32

          母がいた-31

          今日、あるものが家に届いた。SILENTHILL3というホラーゲームのキャラクター、ロビーザラビットの1/6スケールスタチューだ。ちょっぴりプレ値。 僕はあまり、というか全くフィギュアをもっていなかった。というのも、物を大切に扱ったり飾ったりするのが得意ではないのだ。棚にきれいに並べられたフィギュアを見て「いいなあ」と思うことはあるけれど、自分がそういったものの管理に徹底的に向いていない自覚がしっかりあるので「いいなあ」止まりだった。 ただこのロビーくん、発売されてからず

          母がいた-31

          母がいた-30

          今日、父と一緒に「ポトフ」という映画を観た。トラン・アン・ユン監督のフランス映画。19世紀のフランス、美食研究家のドダンと腕の良い料理人ウージェニーのお話。とても詩的で、それでも情熱的な映画で良かった。 作中で大切な役割を持つポトフだが、僕はポトフが結構好きだ。あっさりとしつつうまみの濃いスープと、大き目で柔らかな味の具材たち。油の多い料理や風味の強いものが苦手な僕にとって実家のような安心感を得られる料理。 母はポトフを作るのがうまかった。どうしてあんなに美味しくなるのか

          母がいた-30

          母がいた-29

          僕は今年の頭からハムスターを飼っている。飼っているというか、お世話をさせていただいているような感覚。スノーホワイトジャンガリアンのかんたろうさんだ。東京に初雪が降った日にお迎えしたので、かんたろうさん。我ながら気に入ってる名づけだったりする。 今この記事を書いているのが夜の12時頃で、だいたいこの時間になると回し車を一生懸命回し始める。今も部屋の隅からカラカラとかわいい音が聞こえてくる。まじで超かわいい。愛しかない。 そんなハムスターにまつわる母の話を思い出したので、覚え

          母がいた-29

          母がいた-28

          今、お酒を飲んで家まで帰るタクシーに乗っている。今日もよく飲んだ。家までの帰り道にある建物の前を通った時、突然母との記憶を思い出したのでお酒に負けずに書いてみようと思う。 小学校に入学する少し前くらいのこと。今住んでいる家とは違ったが、地域としては同じ区切りの街が活動範囲だった僕は、母とよくお出かけしていた。スーパーやお菓子屋さん、文房具店などだ。 確か小児科にかかった帰りだったと思う。病院を出たあたりで母が「おもしろそうなものがあるよ」と僕に声をかけた。母の指さす先を見

          母がいた-28

          母がいた-27

          今日、新しく本を読み始めた。小西マサテル著「名探偵じゃなくても」。小学校教諭である主人公「楓」の身の回りで起こる事件の謎を、レビー小体型認知症を患った祖父が紫煙を燻らせながら解き明かす、という安楽椅子探偵もののミステリだ。前作に「名探偵のままでいて」があり、これがとんでもなく面白い。ボロボロ泣きながら前作を読んだので、今回もとても楽しみにしている。というか1話で既に泣かされた。悔しい。 今日はそんな名探偵にちなんで、母の名探偵ぶりについて書こうと思う。我が家には密室殺人も消

          母がいた-27