タイムマシーンで乗り物酔いした夜
〜ホノルル発〜
昨夜、翻訳の仕事をしていると、高校生の娘がアイフォンを手に近づいてきた。
「この歌知ってる?」
若者の間で流行っている歌など知ってるわけないだろ…と小さな画面に目を向けると、見覚えのある女性が歌っていた。あれ〜懐かしい。
「竹内まりやじゃん。なんで知ってるの?」と娘に訊ねた。
彼女の話では、ある日本人男性が竹内まりやの『プラスチックラブ』を、思い出のエピソード(英語)とともにツイッターで紹介したそうだ。
どんな内容かというと…
男性が10歳のときに知り合った女の子と、手をつないで初めて一緒に訪れたラーメン屋で流れていたのが『プラスチックラブ』だったそうな。親の仕事の関係で13歳で渡米した彼。女の子とは20代になっても文通を続けた。ある日、彼女からの手紙が途絶える。5カ月ほど経ったころ、彼女が突然アメリカの彼を訪ねてきた。そして2人は結婚。40代になった現在も仲睦まじく、ラーメンを食べるときはいつもスマホでこの曲を流しているんだそう。「ティーンのように手をつないで歩いている中年夫婦がいたら、きっと私たちですよ」。
そのエピソードがとても素敵だと、アメリカの若者の間で広く拡散され、まりやさんの曲も絶賛されているという。
「懐かしいなあ」と聴いていると、「若いころ、どんな曲を聴いていたの?」と娘。
「日本のアーティストなら佐野元春とか、サザンとか、大滝詠一とか、尾崎豊とか、いろいろ聴いていたよ」。大好きだった曲をYouTubeで探して、娘と一緒に聴いた。
「いいねえ、このサビの部分」
「ギターがかっこいいね」
感激する娘に、「これも聴いてよ」「こっちの曲はどう」と浮かれる母。仕事がまだ残っているけど、まあいいか。
それにしても自分の好きな曲を、娘が気に入ってくれるというのは、こんなにも嬉しいことなんだ。大発見だ。
母の興奮はまだ続く。
私は高校時代にクラスメートとバンドを組んで、ドラムを叩いていた。サザンやハウンドドッグなんかのコピーをやりたかったんだが、私以外のメンバーがみんなパンクバンドの「ザ・モッズ」を押していた。
どうしても乗り気じゃなかった私を、彼らはコンサートに連れ出し、会場を出るころには、私はモッズファンになっていた。
若いころに夢中になった歌手やバンドの曲は、大人になっても時々聴いては懐かしがっていたが、モッズの曲は高校卒業以来、1度も聴いていなかった。
娘には言わなかったが、私たちのバンドのボーカルを担当していたビンちゃんが、就職2年目の春に亡くなった。自殺だったとずいぶん経ってから分かった。亡くなる前の年に会ったとき、普段は太陽のように明るいビンちゃんの顔は少しむくんでいて、元気がなかった。ハワイに嫁ぐ私に「お前なら大丈夫だ」とこれまで見たことのない、寂しい笑顔で言った。
元気のない理由を、あのときなぜ問い詰めなかったのか。頭の隅っこにずっと住み着いている「後悔」。
YouTubeでモッズの曲を探し、30うん年ぶりに聴いた。
『バラッドをお前に』のギターのイントロが流れた瞬間、ものすごい勢いで、10代のころの自分に戻ってしまった。もうびっくり。
あの頃の仲間の顔が、教室の窓から見える風景が、声を張り上げるビンちゃんの背中が…どんどん浮かんでくる。緊張とも違うドキドキ、ワクワクするこの気持ち。こんなにもはっきり感じられる。そして若くない私には心臓に悪そうだ。
クラクラして思わず机に突っ伏してしまった。決して大げさじゃない。
「どうしたの?大丈夫?」と娘が驚く。
「タイムマシーンで乗り物酔いしたらしい」
まさに物凄いスピードでどこかに移動して、車に酔ってしまったような感じだった。
その晩、ビンちゃんの死と初めて正面から向き合った。布団に入ってから音量を小さくしてモッズの曲を繰り返し聴いた。「かっこいい」というより「愛おしい」と思った。
思いがけない記憶を想起させ、時空をもやすやすと超えさせてしまう音楽の力に、心底驚き、少し泣いた夜だった。