鬼ごっこしたら、心も体もあったかくなった/…おとなの、の本当の意味
今日、約束のネバーランド(実写)の映画と、アニメをAmazonプライムで観ていて、何度か鬼ごっこのシーンがありました。
そのせいか、公園で三男と遊んでいたら、ママ、鬼ごっこしよう、と誘われました。
二人で。笑
ママは遅いから、隠れんぼでいいよ、と言われ。
全く隠れもせず、ヒラヒラと踊りながら、捕まるのを待つ三男。
ニヤニヤ眺めながら捕まえに行く私。
植栽を挟んで、捕まらないようにぐるぐる、ぐるぐる逃げ回って、トムジェリみたいです。笑
急に遊具に乗り込んで、今、バリヤだからね!捕まえれないよ!
とズルいこと言う。笑
12歳までしか乗れない遊具の上まで行って、またまたズルい。笑
約束のネバーランドではタイムリミットがあったので、
20分経ちました、あなたの勝ちです
と伝えると、妙に納得して、やっと降りてきて、帰宅してくれました。
やらなきゃいけない小さなことが山積みで、一個ずつ始末していけば済むのにやらなくて、また月曜日になって、というのを何度となく繰り返しています。
今日は、三男と一緒にブックオフに行って、折り紙の本を買い、公園へ行こう、と決めていました。
ちゃんと実行出来て良かったです。
家に居ても、結局やるべきことを先送りにしてしまうのだから、もうそれは諦めて、置いておいて。
三男との時間を作れたことに、ホッとしています。
何もせずに、ずっと動画ばかり観せて週末が終わっていくことに、ひどく罪悪感がありました。それはそのまま、自分を責めることに繋がっていきます。
やるべきことを先送りにすることよりも、三男との時間を無駄に過ごしてしまった事の方が、ずっと後悔が大きいです。
今日は、三男との時間を過ごせました。
帰りには、ブックオフのそばにある、和菓子やさんへ行きました。
何と言い表せば良いか分からないんですが、モダンな、オシャレな、素敵な、とっても美味しい、お気に入りのお店です。亡くなった母とよく行った、思い出のお店です。
いつもの定番、看板商品の黒糖わらび餅(きな粉は砂糖が入っていない)、鬼まんじゅう、赤飯饅頭、豆大福、三色団子やいちご大福、など。
どれも美味しいので、ショーケースを見ているとついつい注文し過ぎてしまって、お会計が3千円ほどになってしまいました。笑
いつもおかずをお裾分けしてくれるお友達と、近所に住む父の兄夫婦にお届けして、父にも鬼まんじゅうをひとつ、おやつに持って行きました。
今すぐ食べたい。けれど、今日は我慢です。
夜、お寿司を食べたい三男と、ラーメンを食べたい次男とで、話が噛み合わず、結局三男は家でテレビを観て待ってる、となりました。
自宅でテイクアウト待ちの長男に三男を任せて次男と二人、初めて行くラーメン屋さんに行ってきました。
餃子、唐揚げ、炒飯も頼んで、また食べすぎました。
ところで、今日買った折り紙の本。
中身をたいして読みもせず、ザッと作り方だけ確認して購入したのですが、帰ってからよくよく見てみると、ちょっと子ども向けではない感じの内容になっていて、小学一年生が読むにはちょっと…微妙です。
箸袋を使って折る、というアイデアが面白く、よくある子ども向け折り紙とは違って新鮮だったのと、外食の時の待ち時間に楽しめそうだな、と思って決めたのですが…。
いやー、ちょっと想定外の、ストーリー仕立てになっていて、親父ギャグみたいなのも盛り込まれていました。
折り方の部分だけコピーして、三男に使わせるか…。
折り紙ではなく、箸袋で折るっていうところ、すごくポイント高いんですが。子ども向けの折り紙に飽きた三男にちょうど良いなーと思ったんですが。
ストーリーをもうちょっと別の路線にしてもらえたら、良かったのになあ。小学一年生が読むストーリーでは、なかったなぁ。笑
この部分の需要は、どの程度あるのかしらと、興味が湧いてきます。
帰りの車の中で、三男が本をパラパラとめくって、デートだとか、カップルだとか、なんだか言ってるなぁと思っていたのですが、まさかまさか、こんな内容だったとは!笑
今日和菓子をお届けした、父の兄夫婦(私のおじさん、おばさん)のところには、母が亡くなってから、前よりも顔を出すようになりました。
お二人はもう80代です。
病気を抱えていたり、あちこち何かしらの不調があったりしながらも、いつもハツラツとして、元気に、笑顔で過ごされています。
今日は、
お母さんが亡くなってしばらくたつけれど、あなた、大丈夫かな?って昨日、考えていたのよ
と言われました。
母の病気が分かってから亡くなるまで、そして亡くなってから今まで時間は続いてきました。
初めて病気が分かってから、4年。
私はずっと辛い、寂しい気持ちとともにいました。
なので、
4年間ずっと辛かったから、変わらないの。お母さんが居なくなるって思って、ずっと寂しかったから、急にさみしくなったのではないから、大丈夫なのかもしれない。
と伝えました。
何をしていても、母との思い出が蘇るし、思い出して寂しい気持ちにもなります。でも、やっぱり私の中に母が居るんだなぁとも思います。
母は、遠く、遠く、もう二度と会えないところに旅に出たんだと思います。
おばさんは、
お母さんはここに居るよ
(私の肩、後ろ辺り)
いつか、良い時が来るからね
と、声をかけてくれました。
きっと、そうなのでしょう。
いつか、良い時が、きっと来るのでしょう。
シングルで子育てしていて、平日はお仕事もして。
年齢は重ねていくばかりで、減ることはありません。
心だけでなく、体がシンドイことも増えてきました。
そういうのが、どこか滲みでているのでしょうね。
私は同じような言葉を、習字の先生からも、よくかけられます。
私より長く生きて、色んなことを見て、経験してきたからこその言葉なんだと思います。
だから、私はその言葉を大切に自分の中に持って、これからも生きていきたいなと思います。