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バナナと悟り ~ バンジージャンプ〜

自分でもわからないけれど、いつからかずっと得体の知れない「何か」を探している。

一体何を探しているのかも分からないけれど、現実的に起こる色々な事象が整っている時でも、自分が掲げた目標を華麗に達成したあとでさえも、どこかで心が満たされない感覚を感じる。どこかたどり着かなければいけない場所が他にあるような感じがする。

それは幻なのかと思う日もあれど(むしろそうであれと思う)、求め続ける欲求みたいなものが、叫びにも似た想いが、心に有り続ける。

しかし、本当の意味で自分と向き合うとこはとても恐ろしいことだ。一度その道に入ったら何が待っているか分からない。道の途中で見たことも無いような醜い自分の姿を見ることになるかもしれない。

喧騒の中で紛らわせている孤独や不安、小さい頃から蓋をし続けてきた怒りや憎しみ、自分が愛しやまないと思っている人に実は向けている嫉妬や独占欲、周りの人達より私は優れていると血のにじむ努力して満たしてきた自己承認欲求。

どんなものがどんなかたちで飛び出てくるかわからない、そんなところに首を突っ込むのは狂気の沙汰だ。気が狂ってしまうかもしれない。そう思うのは普通のことだと思う。そんなことわざわざしなくたって幸せに生きている人はたくさんいるのだし、わざわざ突っ込む必要ある?

でも、前回の記事:バナナと悟り ~序章~

で書いたように、「悟りを目指す役割」の人たちは、たぶんいつかそこに入っていくのだと思う。それが自分の役割だと分かっているから。

地べたを這いつくばるような苦しみが待ってるようなイヤーな予感しても、そこに自ら向かうのだと思う。というか気づいたら無意識の間に頭から突っ込んでて、何がなんだか分からない状態になっている場合も多い気がする。

ああ、なんてドMなのだろう。いやドSなのか?・・・ぼそっ)

でも、無意識に入っちゃってた場合も、入ることを躊躇している場合も、
その役割を全うしたいなら覚悟を決めて飛ぶしかない。

それは紐が付いていないバンジージャンプのようなものかもしれないけれど、思い切って飛ぶしかない。

覚悟ができたら向かおう。
たどり着いた場所から見える景色はきっと、この世のものとは思えないような絶景であることも、たぶん心は知っている。




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