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ほのぼの日和#7 自己表現

先日、コロナの影響もあってか開催されていなかった新入生ウェルカムパーティーが学校で開催された。学校でパーティー、、、日本人の私にはあまり想像がつかなかった。が、その日は朝から爆音で音楽が聞こえてきていた。私はてっきり、ウガンダではよくある、どこかのクラブから聞こえてきているんだろうと思っていた。すると、お隣の先生から、生徒たちが講堂でダンスを踊っているから見に行ったら?と言われた。学校の方へ足を伸ばすと、普段は制服を着ている生徒たちが私服で、きらびやかで蛍光色のど派手な服(彼らにとってはいたって普通の服なのかも)を身にまとっていた。身体のラインが見える服だったり、ドレスだったり、男の子も女の子もオシャレしていた。顔にキラキラ光る塗料?をぬっていたり、化粧をしていたり、サングラスをしていたり、、、。みんな思い思いのオシャレをしていた。そこには、プロのカメラマンも来ていて、カップルや友達同士でいわゆる”キメ顔“で写真を撮っていた。モデル顔負けのポージング。私ぐらいだろう、のんきに笑顔で撮られていたのは。

微塵も恥ずかしがらず、堂々としている姿に私はいいなあ、と思った。私もそんな服を着てみたいとかそういうことではないが、人の目を気にせず堂々と自分を表現できていることが素直にすごいと思った。私もこういう環境で生活していたら、そうなっていたのだろうかと思った。

ウガンダでの生活を通して考えたことを綴るこのブログで自分事を書くのはちょっとどうだろうと思うのだが、私のことについて少し触れさせてほしい。私は、高校生まで人口2000人弱の小さな島で生活していた。高校のときのクラスの人数は11人、女子は4人。本土に渡るためには船で1時間半から3時間。コンビニなんてなく、映画館もない。信号は1つ。島の人はほとんど顔見知り。噂なんて1日で知れ渡る。幼稚園からずっとみんな幼馴染みたいなもの。そんな環境だったから、私というものはこういう人間だというのがすでにあって、枠みたいなものが決められていたと思う。

よくわからないけど、クラス替えがあったり、中学から高校という変わり目で自分を変えたりするということを聞くが、そんなことはできない。あなたはこういう人でしょ、きっとあの人がリーダーやるよね、そういうことが暗黙のうちに決まってしまっている、そんな環境だった。少しでも、その決められてた枠から外れようものなら、どうしたの!?状態である。

そんな中で私の枠は何だったかというと、いわゆる優等生である。リーダー的なものはよくやるし、人前で発表することもよく引き受けた。別にそんな自分が嫌いだったわけではない。でも、今だから言えるがあなたはこうするんでしょ、そう勝手に決められていることが多かったと思う。「あなたは頭がいいから、○○大学に行くんでしょ。」私はそこまで素直な性格じゃなかったから、言われた大学より上の大学に行ってやるという気持ちで、無事上の大学に進学したわけだが。大学こそ人から言われた通りにはしなかったが、基本私は他の人から期待されている役割を全うすることに一生懸命だったと思うし、そのことにも気づいていなかった。

まあそんなことはさておき、なかなか自分の殻を打ち破るという経験をしてこなかったからなのか、私は異様に人の目を気にすると思う。自分で自覚症状がありながら、どうすることもできない。そんなの気にしなければいいじゃん、よく言われる。誰も私のことなんて見ていない、そこまで思わない。そう思っても、人からどう思われるかそればかり気にしている。大学に来ていく服装、友達の誘いを断ったらどう思われるか、今まで田舎で生活していた私にとって大学生活は”スタンダード“というものがわからず、非常に最初の方は大変だった。今の任地の生活でも、水くみを生徒に手伝ってもらったら、あの先生はいつも生徒に手伝わせている、そう思われるんじゃないか、ここでこうしたいと発言することは任地の人たちにとって変なことなんじゃないか、そればっかり考えている。”スタンダード“(枠)にこだわり続けている。こんなこと無視して自由に生きられたらどんなに楽かと思う。水くみを生徒に手伝ってもらうことに引け目を感じて、生徒の自学時間に合わせて水くみに行くようになったのだが、そんな私を、人にものを頼めない、逆に頼めば何でもやってくれる、”やさしい“そう表現する人もいるだろう。でも、それはやさしいんじゃない。すべて自分本位なのだと思う。自分が嫌われるのが怖いから、頼み事を断って嫌われたくないから、すべて自分のために、自分可愛さのためにそうしているのだ。結局は自分のことしか考えられていない、自分に悲しくなる。

長々と自分の性格と、なぜそうなったのかという考えられる理由を書いたが、まあそんな環境なんてただの言い訳で、もともとの性格からなのかもしれない。

私がこんな性分だからか、自分のやりたいことをまっすぐ表現できている、彼らがキラキラして見えた。私もそんな風になりたいって思った。枠をぶっ壊す、それがいたって目立たない、なんて生きやすい世界なんだろうか。

どんな自分も受け入れてもらえる。そんな環境で生きているということがうらやましかったのかもしれない。枠にむりやりはめ込んでいたのは自分だったのかもしれないな。


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