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コスモロジーと四大元素の話

おはようございます、けさも早起きです。きのうは雨で、スーパーに買い物にいけなかったので、すこしうずうずしてます。きょうは行く。さて、コスモロジーと、漠然というてみると、なかなかこう、つかみどころのない話ですよね。まあ、それでいいようにも思うんですが、こう、四大元素(火、水、風、土)をイメージしてからだと、割と、こんなもんかなあってなるかも。

で、四大元素な訳ですが、火というのは、ものを変化させる力、水はものをまとめる・繋ぐ力、風とはものを引き離す力、土とはものとものとがぶつかる、物理的な力。こういった四大元素のモーメントが働いて、こう、宇宙というか、それは常にうごめいている。まあ、それが生命ともいえる訳で、それを踏まえてコスモロジーをみていく。まあ、コスモロジーってのは、あと、仏教の「縁起」の考えにも、いや、それをしっとくとつながりを感じられるかなってことで。

こういうのって、タネあかししてるつもりが、どんどん深みにはまっていくようなもので、要はね、つかもうにもでかすぎてつかめませんよってこと、も、含めて、もうコスモロジーってやつには、自分も含まれているから、自分で自分をつかむ、っていう、そらあ土台、ムリな話になるわけです。まあ、われ思う故にわれありと思う故にわれありと思う故にわれあり、の無限後退みたいなもんで。そこのところをぎゅーっと、禅とかだと「本来の自己とはなにか?」って問うわけです。そうすると、本来の自己なんて、提示しちまった以上それは自己ではなくなっちまうから、さあどうした、言え言え!って攻め立てる。

でもね、コスモロジーってのは、それはしません。自分っていう主体もありつつ、でも関係の総体でもある。という、ね、このあたりをまあ、西田幾多郎って方は絶対矛盾的自己同一でしたっけ、触れたわけですが、そんなむつかしいこといわんでも、矛盾っていうのは、人間の料簡にすぎんですな。そのあたりのことをユングは「共時性」いいました。因果じゃないんだ、それ以外にもつながりってのはあるんだ、ってね。

長くなりました。今日の一冊

加藤清さんって、ほんま、かわってはるわあ、って話。おもろい本ですわ。

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