フツーは「普通」とは異なる
おはようございます、今朝も早起きです。こんしゅうも忙しくなりますか、どうでしょうか。さて、きょうも、訳の分からぬことを話して参ります。わたしが、どこかで以前書いた記憶があるのですが、こう、「フツーでいればいい」というのは、こう私の一家言というか。このフツーということ、なかなか説明はできないのですが、まあ、ある意味、平準、平均、アベレージという意味での普通ではないです。
フツーとは、むしろ逸脱していること、そのひとがそのひとの興味を持てるままに、のびのびと、生きている。それでいて、周りともそこそこ、協同してやっていけている状態、それをわたしは「フツー」といっています。そう、それが出来ていればいいとまでおもうときもあります。まあ、そのうえで力が溜まってきたら、こう、社会に還元していく、それもひとの道というものではありましょうが……当面のところ、この「やりたいことをやる」ということ、それと「他者との協同」この、他者との協同に、社会への還元も含まれているということで、ハイ。
きょうは読みごたえのある本を
こういう、本をコツコツと読むのが、読書家といえるようにも思えたりして。まあ、私も電子書籍で購入しましたが、たまにちょこちょこ読んで、でも読み終えてはおりません。
もう一冊、我が国の本を
この本は、一日数条ずつ読んでいます。さて、いつ終わるのやら、果てしの無い読書です。まあ、これを読むのは、中年以降でいいようにおもいます。変に耳年寄になってしまわぬように。