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【適応障害になった大学生】  私をまるっと認めたい。

今はまだ、「いつもの自分」を装う元気が残っています。というか、弱っている自分を他人に見せることがとても苦手なのだと思います。

だから、外での明るい自分と、家での絶望に満ちた自分のギャップがあまりに大きくて、まるで自分が二人いるように感じていると、とある人にもらしたことがあります。

その人は私に、「どれも本当のあなただ」と丁寧に伝えてくれたあとで、「それぞれの自分にα、β、ωと名前をつけてみたらどうか」と提案してくれました。

最初はやっぱり受け入れられなかったのですが、最近、ちょっとコツを掴んできました。

α=元気な私
β=ネガティブな私
ω=メタ的な私

こんな感じで、私の中で三人の私が共同生活を始めました。

これがなかなか興味深いのです。

人と会って、楽しい!と感じると、その反動が怖いと前に書きました。

だけど、「あぁ、今はβなんだな。よしよし。」とωの私を登場させると、まぁ仕方ないかと思えたり思えなかったり…笑

少なくとも、αが濃かったりβが濃かったり、グラデーションがあるだけで、全部自分なのだと、なんだか認めるのが少し上手くなった気がしています。

実際は、そんな余裕がなかったり、やっぱり辛いときはとても辛いししんどいです。βに乗っ取られるような気持ちになったりもします。

だけど、自分と向き合う時間の中で、弱い自分を受け入れていくためには、とても大切な思考なのかなと感じています。

教えてくれた人に大感謝です。

自分を分断させてしまうから、嫌いな自分と好きな自分を創り出しては、嫌いな自分を覆い隠すことにエネルギーを使ってしまう気がします。

自分は自分なのだと、まるっと認められるようになれば、いろいろと変わったりするのかなぁと思ったりしますが、これがとても難しい。

こんなに考える必要なんてないのかもしれないですが、せっかく一度きりの人生、たった一人きりの私なので、私くらいは私を知ろうとしてあげたいし、愛してあげたい。最近はそんなことをふと思います。

αとβとωの共同生活はまだ始まったばかり。
もう少し様子を見てあげようかと、どんと構えてみましょうか。

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