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【うつになった大学生】    子どもの頃のこととか

「普通に生きてたら、死にたくなんかならないよ。」って言われた。

本当なんだと思う。

土門蘭さんの『死ぬまで生きる日記』、わたしが好きな本の一つ。

嬉しいも、楽しいも、ちゃんと感じるのに「死にたい」って思う。

別に今すぐ死んでやろうと思っているわけではなくて、やんわりとした「死にたさ」がずっとある。

わたしと同じだと思った。

わたしはお母さんの前では笑わないし泣かない。かろうじて怒りの感情は感じるけれど、それを吐露したりはしない。

そんなことすら気が付いていなかった。

カウンセラーさんに言われてやっと気がつき始めた。

「痛い」って本当は感じていたはずなのに、麻痺して、鈍感になって、「痛み」を感じないようになっていたのかもしれない。

父はとにかく短気で、すぐに感情的になる人だった。反抗すれば一発殴られたし、襟元を掴んで家の外に引き摺り出された。

母は、人をジャッジし、批判する人だった。

あの子はこんなところがいけない、あの人はお行儀がなっていない、ずっと色んな人をジャッジしては批判していた。

だから、わたしも、ちゃんとしていなければ、人よりも優れていなければ、この家に居場所がないと思って生きてきた。

母も感情的な人だったから、論理的な話し合いはできなかった。

家の中では、いつもわたしが間違いだった。

だから、わたしは両親を怒らせないように、必死に顔色を伺いながら成長したし、それが当たり前だと思っていた。

入院して、主治医から、「健全な家に育った子どもは、親の顔色なんか窺わないんだよ。」と言われて驚愕したし、いまだに信じていない。

カウンセラーさんからも、「ほのさんの家族で不健康だなと思うのは、いつもほのさんばかりが感情を抑圧して、ご両親は感情のままにおられることです。」と言われた。

けれど、365日24時間嫌な親だったわけではなくて、いい思い出もたくさんあるから、わたしは全ての原因は自分にあるのだと信じてきた。

でもそれじゃどうしようもなくなって、全て投げ出したくなるんだと思う。

だから、わたしのこの生きづらさは、社会人になって経済的にも精神的にも自立したら、もう少しマシになるんじゃないかと思う。

けれど、もしそうじゃなかったとき、わたしは再び人生に絶望してしまうから、今はあまり期待せずにいる。

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