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高野秀行『酒を主食とする人々』試し読み!

『謎の独立国家ソマリランド』以来、12年ぶりに本の雑誌社から刊行される高野秀行さんの新刊『酒を主食とする人々』(2025年1月下旬発売)。TBSテレビ「クレイジージャーニー」に誘われ目指したのは、幻の酒飲み民族が暮らすというエチオピア南部の民族「デラシャ」。果たして酒飲み民族は存在するのか? 本当に酒ばかり飲んでいるのか? 酒ばかり飲んでいて人は生きていけるのか? 科学の常識が覆る紀行探検記。2025年、最初で、最高の傑作がここに誕生!


2025年1月下旬発売

はじめに

 アフリカのエチオピア南部に酒を主食とする民族がいる。朝から晩まで酒を飲み、栄養の大部分をそこから得ている。健康な成人だけでなく、子供や病人、妊婦の人たちも飲んでいる。しかるにこの民族の情報はただ一冊の本に書かれた以外、世界的にも全然知られていない。ネット上にも情報は皆無──。
 こんな不思議な民族が実在するのだろうか? 実在するとしたら、一日中、酒を飲み続ける生活とはいったいどんな感じなのだろうか? 日常生活や健康に差し支えないのだろうか?
 それを知るには実際に行ってみるしかない。そう思い、TBS「クレイジージャーニー」という番組の制作クルーと一緒に現地を訪れた。全行程二週間の短い旅だが、驚くほどに濃い旅でもあった。とんでもないアクシデントやハプニングも起きたし、酒飲み民族の実態にも目を疑った。
 噓のような本当の話。本書は一言で言えばそんな旅の物語である。

1 酒を主食にしている謎の民族デラシャ

 空港から話が始まる旅行記にはろくなものがない。成田であっても目的地の国の空港であってもというのが私の持論なのだが、この旅行記は私が成田空港へ向かうところから始まる。ろくな旅行記でないことがこのことからもすぐわかる。
 その日、私は空港に向かう電車の中でいつにない高揚感と緊張感をおぼえていた。生まれて初めてテレビカメラが自分の取材というか旅に同行するのだ。正確に言えば、まだ三十代の頃、テレビのクルーと一緒に出発したことは二度ほどある。でもそれはコーディネーターや現地ガイドといった「スタッフ」としてだった。今回は私が「主役」である。
 番組はTBSの「クレイジージャーニー」。浮世離れしたこだわりのために、ふつうの人が行かないような僻地やマニアックなスポットに出かける〝クレイジーな旅人〞にカメラが同行し、その後、スタジオに旅人を招いて、松本人志、小池栄子、設楽統というMC三氏がVTRを見ながら話を聞くというスタイルである。世界のスラム街やマフィアを訪ねる犯罪ジャーナリストの丸山ゴンザレス氏、奇妙な風景を好んで撮影する写真家の佐藤健寿氏といった人がこの番組で有名になった。
 私も以前、合計四回出演しているが、そのときはスタジオで過去の体験談を披露しただけである。それでも反響は大きく、「クレイジージャーニーで高野秀行を初めて知って本を読むようになった」という人が激増した。私は自分自身ではテレビに映りたいと全く思ってない半面、読者が増えるのは大歓迎である。だから「今度はクルーと一緒に海外の辺境へ出かけないですか」と声をかけられたとき喜んで話に乗った。しかも行き先は「酒を主食にする民族」。私がぜひ一度訪ねてみたいと熱望していた民族の村だった。
 たしか二〇一九年のことだと思う。書店でたまたま砂野唯著『酒を食べる エチオピア・デラシャを事例として』(昭和堂)という本を見つけ、立ち読みしただけで瞠目した。すぐに購入して読み、心底驚いた。エチオピア南部のデラシャという民族は栄養の大部分をパルショータと呼ばれる酒から得ているというのだ。パルショータはイネ科モロコシ属のソルガム(学名Sorghumbicolor、日本ではタカキビ、モロコシ、コーリャンなどと呼ばれる)という穀物から作られる濁り酒で、アルコール度数三〜四パーセントくらい。それをなんと一日五リットルも飲むとか、子供も二歳から少しずつ慣れて十代半ばで大人と同じように酒が主となるとか、ほとんど酒だけで生きているのに筋骨隆々としているとか、信じられないことばかり書かれている。コメディかSFかと思ってしまった。
 でも砂野さんはそこに十年以上通って調査を行っているという。ソルガムは稲、小麦、大麦、トウモロコシと並んで「世界五大穀物」の一つに数えられ、アフリカでは主食として広い地域で食されているが、ふつうは粉にしたものを煮たりふかしたりして、柔らかい団子か餅みたいな形態にして食べている(人類学者は「練り粥」と呼んでいる)。それだけだとデンプン質ばかりで栄養が足りないが、発酵させて酒にするとタンパク質を構成するための必須アミノ酸などが生じ、人間が生きるに十分な栄養をまかなえるという。
 砂野さんは京都大学大学院で学び、まさにこのパルショータについての研究で博士号を取得した生態人類学者である。同書ではデラシャ人の酒の摂取量やパルショータの栄養の分析なども緻密に行っている。また、今西錦司の流れを引く「現場体当たり主義」の京大系の研究者らしく、最初は地元の人と同じ食生活に挑戦したものの、酒を一日一リットル程度しか飲めず、でも他に食べるものがいくらもないので、栄養失調で倒れて入院したという生々しい話も記されている。砂野さんは超優秀かつチャレンジャーで、この人こそが「クレイジージャーニー」に登場すべき人だろう。
 つまり、この話はネット上の噂などではなく、信じざるをえない。ある意味では、この五年ぐらいで私が最も衝撃を受けた本だと言える。しかし同時に、
 ──本当にそんなことがありえるのか?
 とも思ってしまった。私は世界各地の辺境を訪れ、日本人としては(あるいは世界的にも?)最もいろいろな珍食奇食を体験してきた人間の一人だと思う。人間が自分の住む環境に適応して、驚くような食品を食べていることはよく知っている。
 また、安全な水を確保できない辺境の地では水代わりに薄い酒を飲む人たちがいることも自分の目で見てきている。例えば、南米アマゾンやアンデス山地の先住民やミャンマーとインド国境に住むナガ族の人たちがそうだ。
 でもほとんど酒だけで生きていくというのは正直、まるで「実感」が湧かなかった。どんな感じなのだろうか。私は酒が大好きだが、それでも朝から晩までずっと飲んでいるわけではないし、つまみだってほしい。でもこの人たちはひたすら酒を飲んでいるという。そんなに飲めるのか? 酔っ払って仕事に支障をきたしたりしないのか? 幼い子供や妊婦の人、授乳中の人はどうしているのか?
「実際に自分でデラシャの酒飲み生活を体験したい!」と強く思ったのだが、それは難しかった。すでに研究書が刊行されている以上、私が今さらそこへ行ってノンフィクション本を書いても「後追い」になってしまう。
 別に仕事にする必要はないじゃないかという考え方もあった。すごく好奇心をそそられるのだから個人的な旅で行くのでもいっこうにかまわない。ところが単なる旅行で行くにはデラシャはハードルが高かった。エチオピア南部はいまだに独特の習慣を残した少数民族が住むアフリカでも有数の辺境の地であると同時に、それらの民族は政府から保護されていると聞く。ガイドブックやネット上の情報を見るかぎり、自由な旅行はできず、高額なツアーに参加する必要があるようだ。事実、アフリカ好きや旅行好きの知人友人の間でもエチオピア南部へ行ったという話は聞いたことがない。とても気軽には行けないのである。
 そういうわけで、デラシャのことは自分の心の中にある「いつか行きたい場所リスト」に放り込んで忘れてしまっていた。ところがコロナ禍が明け、クレイジージャーニーのスタッフから「高野さん、どこか一緒に行きませんか?」と声をかけられたとき、ふとデラシャを思い出して、提案してみた。私が完全に自分の企画としてデラシャの村を訪れるのは無理があるが、テレビ番組としてならちょうどいいのではないかと思ったのだ。なにしろ本を書くのが目的ではなく、私は酒メインの生活を体験してみたいだけなのだから。
 もっともこの時点ではこの企画が成立することにさして期待していなかった。デラシャの話はとっくにテレビで紹介されていると思ったからだ。こんなに派手なテレビ向きの民族はない。日本のテレビ局が放っておくわけがないだろう。
 ところがである。クレイジージャーニーのスタッフが調べたところ、デラシャの酒をテーマにした番組は制作されたことがないという。唯一、三年前(二〇二〇年)にNHKが「食の起源」というシリーズを制作したとき、デラシャが取り上げられたものの、時間にして五分程度だったという。
 かくして、意外にも番組としての企画は通ってしまった。次なるハードルはエチオピアで撮影許可が下りるかどうかであった。エチオピアでは各地で内戦が続いている。幸い、デラシャの人たちが住む南部諸民族州(デラシャ人の住む地域は二〇二三年八月に行政区画再編のため「南エチオピア州」となった)は治安に特に問題がなさそうだが、隣のオロミア州はすでに危険地帯と化している。とりわけ深刻なのは北部ティグライ州で、政府軍が反政府軍の兵士だけでなく民間人に対しても深刻な人権侵害を行っているという情報が流れていたが、政府が外国人ジャーナリストを入れないようにしているため、詳細は明らかではなかった。このような場合、外国のジャーナリストやメディアは当該国のビザ取得にあたって、「ダミーの許可申請」を行うことがある。例えば「少数民族の食文化を取材したい」と言ってエチオピアのビザを取得しておいて、エチオピア入国後はティグライ州周辺の紛争地に行ってしまうとか。だからエチオピア政府のガードは相当堅くなっているのではないかと私は懸念したのだ。
 ところがこちらも、時間こそ多少かかったものの、TBSが頼んだ現地コーディネーターから「許可が下りる」と連絡が来た。
 ──なんと、行けるのか!
 これが二〇二三年の七月末で、出発は九月下旬。あと二カ月しかない。
 慌ててエチオピア行きの準備を始めた。まずエチオピアの公用語であるアムハラ語の読み書きだけは覚えておこうと思った。私はこれまでエチオピアを四回ほど訪れたことがあるが、アムハラ語は習ったことがない。アムハラ語はアフリカ大陸で唯一独自の文字をもっている。知らない人間からすると子供が悪戯書きした絵文字のように見えるやつだ。最低限、その文字の読み書きと簡単な挨拶程度は学んでおきたかった。
 デラシャ語も少し勉強したかったが、日本にデラシャの人はいそうになく、またネット上にも情報がほとんどなかった。ただ、アフロ・アジア語族のクシ語派で、ソマリ語と親戚関係にあるという、ソマリ好きの私には興味深い事実が判明した。
 びっくりしたのは、英語で検索してもデラシャ人の情報が何も出てこないことだった。ちなみに、日本人がふつうに使用しているGoogleで検索しても役に立つ海外の情報はあまり得られない。特に日本になじみのないアフリカや中東の情報はそうである。英語であっても、「日本人向け」なのだ。だから私は海外情報を調べるときには「アメリカのGoogle」をわざわざ呼び出し、そこで検索をかける。すると、日本版に比べて質量ともはるかに優れた情報が現れる。だが、アメリカ版Googleでもデラシャのことは出てこない。いや、ゼロではない。社会学とか行政の事情とか音楽の話は出てくるのだが、「酒を主食にしている」という肝心の情報がない。あるとすれば、英語で書かれた砂野さんの論文だけ。YouTubeやTikTok、SNSでも皆無。
 これほどの超情報化社会なのにどうして? と驚かざるをえない。
 日本でなぜデラシャの酒文化が知られていないのかはわからないでもない。砂野さんの本はすごいと私は思うが、価格が五千二百八十円(税込)もする。内容も博士論文をもとにした学術書なので、よほどアフリカか人類学か栄養学などに興味がある人でないと読み通すのが難しい。
 また、私には人類学者の知り合いが大勢いるからそういう人たちに会うおりにデラシャのことを訊いてみると、「あー、なんか聞いたことがある」というふうに答えた人が約半分、残りの約半分は知らなかった。人類学の世界でも話題になっている様子がない。複数の研究者は、「酒をたくさん飲んでいるという現象面だけでは評価されない。それが社会構造とかもっと大きくて深いものにつながらないと」というようなことを言っていた。
 あるいは世界的に「アルコールの摂取は健康上、好ましくない」という傾向にあるので、それに逆行している研究と見なされて評価されにくくなっているのか。
 でも日本のテレビはもちろんのこと、イギリスのBBCもナショナルジオグラフィックも誰も気づいていないのは不可思議だ。YouTubeやTikTokでも何一つアップされていないのはもっと理解に苦しむ。
 なんだか、デラシャは目撃者がたった一人しかいないUMA(未確認動物)のようだ。
 ──本当にそんな民族がいるのだろうか? 
 と思ってしまったのも無理はないだろう。
 事情をいちばんよく知るのはもちろん「目撃者」だが、その頃、砂野さんはちょうどネパールでの長期調査に出かけており、私たちの出発前に会って話を聞くことができなかった。番組のプロデューサーとディレクターだけがオンラインで一時間ほど砂野さんと話をしたが、彼らはアフリカに行ったこともない人たちであるし、どうやら深い話はできなかったようだ。ちなみに私はこの取材(?)に参加しなかった。私はTBSの人間ではないので、もし砂野さんに会うとしても、別個に会いたかったし、オンラインでその場所の第一人者とされる人にエッセンスだけちょろっと訊くなんてさすがに虫が良すぎると思ったのだ。
 だいたい、もし目撃者がたった一人のUMAがいるとしたら、その一人の目撃者の証言を今さら根掘り葉掘り聞いてもしかたない。自分が実際にその土地を訪れて、自分でUMAを探した方がいいに決まっている。それと同じだ。
 私の目的は大きく三つ。

 ①酒を主食とする民族は実在するのか?
 ②実在するとしたら、一日中、酒を飲む生活はどんな感じなのか?
 ③日常生活や健康に悪い影響はないのか?

 以上の疑問を確認することだ。TBS側と私のスケジュール上の都合で全行程二週間の短い旅ながら、現場に行きさえすれば、ある程度は達成できるにちがいない。
 そのような経緯を経て、私は成田へ向かった。なんといっても世界初の本格映像ルポになるかもしれないわけだ。気持ちが高揚するのもおわかりいただけるだろう。ところがこの日、私は予想もしないアクシデントに遭遇することになる。なにしろ空港から始まる旅行記にろくなものはないのだ。

2 葛飾区のエチオピア

「お客様、やっぱりエチオピアのビザがないと飛行機にご搭乗できないですね……」
 成田空港チェックインカウンターの全日空(ANA)職員の言葉に私は瞑目した。同行のプロデューサーとディレクターは努めて感情を顔に出さないようにしているが、内心、衝撃を受けているにちがいない。
 辺境の旅は予想できないことが頻発する。とはいえさすがに日本を出る前からそれが始まるのは私の長い経験でも初めてだった。
 今回の旅はひじょうに特殊だ。単にテレビのロケだからではなく、主導権が誰にあるかよくわからないのだ。これはあくまで「高野秀行にテレビカメラが同行する」という設定になっている。決して番組上の建前ではない。なにしろ私はこの仕事で一切報酬を受けとれない。ノーギャラなのだ。つまり、正確に言えば「仕事」ですらない。
 局側は「旅費を出すから行きたいところへ行って下さい」という。番組に出演するわけでも、レポーター役を務めるわけでもない。私自身の旅なのだ。
 にもかかわらず、ビザと航空券から、撮影許可、現地ガイド、訪れる村と滞在する家の選択まで、全てはTBSが委託する南アフリカのコーディネート会社に任されている。内情はさらに複雑で、会社自体は日本人が経営していて、取材に同行するのも南ア在住の日本人女性らしいが、でもその人はエチオピアへ行ったことがなく、同国では首都アジスアベバにいる「フィクサー」とプロデューサーが呼ぶ謎の人物が取り仕切っているという。そしてその「フィクサー」の指示の下、私たちが訪れるエチオピア南部についてはさらに複数の地元在住の人が動いている……。
 要するに私が主体的に動くにもかかわらず、その経過はブラックボックスというか闇鍋のような状態なのだ。特にわからないのがアジスアベバの「フィクサー」だ。あっさり撮影許可を取得したらしいから相当政府にコネクションを持っているようだが、何者なのか説明がない。プロデューサーも知らないらしい。現地では私とディレクターの二人は村の家にホームステイさせてもらう手はずになっているが、プロデューサーやコーディネーターなど他のスタッフは「町でテントに泊まる」という。
 テント? 意味がわからない。どうして宿に泊まらないのだろう。もしかするとホテルがないのかもしれないが、そうだとしても、キリスト教会とか公民館みたいなところとか宿泊できる場所はあるはずだ。
 だいたい雨が降るだろう。九月〜十月はちょうど現地で雨季にあたっている。テレビのロケでいちばん大事なことの一つは機材と電源の確保だ。雨が降りしきる中では機材の保管や充電がしにくいしトラブルが起きやすい。特に最近の電子機器はすぐに不具合を起こす。大自然の中ならともかく、町なのだから屋根のある場所が望ましい。
 私がプロデューサーにそう言うと、フィクサー経由で「現地は乾季だから大丈夫。最低気温は八度ぐらいだから暖かい服を持ってくるように」という返事が来た。私がネットで気象情報をチェックすると、それは首都アジスアベバのことであり、私たちが行く南部はまさに雨季、最低気温は十五度、最高気温は三十度を超していた。この「フィクサー」は何も現地のことをわかってないと私は溜息をついた。でも結局現地のアレンジはアフリカ大陸にいる誰かに任せる他はない。
「事前にビザをとる必要はない。撮影許可があれば空港でビザがとれる」とのことだったので、それにも従っていた。その結果、成田のチェックインカウンターで「お客様、ビザがないとご搭乗はちょっと……」と言われてしまったのだ。フィクサー、なんてデタラメなんだろう。
 気の毒なのはプロデューサーだ。彼は番組制作の全体に責任を負うという意味でのプロデューサーではない。ロケの「お目付役」が主な任務だという。
 クレイジージャーニーは一度「ヤラセ事件」で打ち切りになっている。「爬虫類ハンター」という人が中米の国で偶然捕獲したとされる珍しい生物六種類のうち、四種類が事前に準備していたものだったと判明。さらに過去十回の放送でも、捕獲した生物のうち十一種類が事前準備したものとわかり、TBSは「不適切な手法」で視聴者の信頼を損なったとして、番組を終了させたのだ。
 これは組織的な行為ではなくあくまで担当ディレクター個人の行為だったとされている。当時はロケに行くときはディレクターが一人で旅人についていき、カメラも回していたという。
 この件についての詳細は知らないが、「ヤラセ」やそれに類する「過剰な演出」は昔からテレビ業界でよく見聞きする。私もリサーチやロケに何度も関わったから気持ちはわからないでもない。「少しでも番組を面白くしたい」という欲望と「面白くないと言われたらまずい」というプレッシャーからやってしまうわけだ。番組の善し悪しは自分の評価に直結する。
 クレイジージャーニーは並外れて人気のある番組だったので、その後も復活の要望が視聴者や局の内部から寄せられ、極めて異例なことに三年後に復活した。ただし前回の失敗を踏まえ、「ディレクター一人で行かせると誘惑に負けてしまう恐れがある。コンプライアンスを遵守するためにもう一人同行者をつける」ことになったという。それがこのプロデューサーなのだ。もちろん、一緒に行くからにはただ見守っているわけにはいかない。経費やスケジュールの管理、コーディネーターとの連絡、トラブル対応など、面倒くさいことはなんでも行う。そして、最も面倒くさい業務が初っ端から出現したわけだ。
 ANAの職員数名とプロデューサーは一時間ほど、あちこちに連絡しながら確認をとったり打開策を考えたりしていたが、結果は変わらず、「今日これからオンラインでビザを取得し、明日、改めて出発」ということになった。
 全くありえない。飛行機の予約変更代、現地の宿やスタッフの手配も変更もしくは延長しなければならず、これだけで一体いくら損害が出ているのか不明だ。だいたい、本当に明日出発できるのだろうか。
 とはいうものの。プロデューサーとディレクターは、さすがに口数が少なくなっていたが、私はむしろ楽しくなっていた。ハプニングやアクシデントがあると、「ああ、旅してるなあ」という感じがするのだ。まだ日本を出てもいないのだが。
 いちおう明日の出発を予定しており、しかも明日のエチオピア行きの便は成田空港ではなく羽田空港から出るということで、羽田近くのホテルに泊まるかそれともいったんそれぞれ自宅に戻るかどうしようかという話になったのだが、私は突然、別の選択肢を思いついた。
「四ツ木へ行こう!」
 東京葛飾区の京成線四ツ木駅付近(地名は「四つ木 」)は在日エチオピア人が集まって住んでいる。そしてそこにはそういう人たちが利用するエチオピア料理店もあるという情報を事前に得ていた。ほんとうは出発前に一度訪ねてみたかったのだが、時間がなくて実現しなかった。「今日エチオピアに行けないのなら、別のエチオピアへ行こう!」という我ながら冴えた提案なのだ。これこそ私が主導する「高野秀行の旅」である。
 かくして私たち三人は大量の荷物と機材を抱えて、なぜか葛飾区のエチオピアへ到着した。「リトルエチオピア」という名のその店はレストランというより、「バーカウンターのついた食堂」であった。アフリカ系の人が経営するレストランにはこういう形式が妙に多い。
 中は完全にエチオピア。店内は日本の演歌にも似たエチオピアのポップスが流れ、店のオーナー夫妻もアジスアベバ出身のエチオピア人だし、他のお客さんもエチオピア人ばかり。壁のポスターに記された文字も、聞こえる言葉もアムハラ語。
 プロデューサーとディレクターも「いいですねえ、こういう雰囲気」とようやく笑顔になった。彼らはアフリカへ行ったことがないので、とても新鮮なようだ。プロデューサーは長井貴仁君(以下、「P長井君」)、ディレクターは岩木伸次君(「D岩木君」)という。それぞれ、四十四歳と四十歳のベテランのテレビマンであり、私が「君付け」で呼ぶのは失礼かもしれないが、二人ともまだ若さが漲っていてとても感じがよく、「高野さんと一緒にアフリカに行けるなんてすごい嬉しい」なんて言ってくれるから、なんだか部活の後輩みたいな気がしてついそう呼んでしまうのだ。
 私は出発前に付け焼き刃で覚えた片言のアムハラ語で「ビール三本ください」とか「あなたの名前は何ですか」などと話しかけて女将さん(女性の店主)に「えー、アムハラ語喋れるの? すごいね!」と喜ばれたり、二人の〝後輩〞に「高野さん、やっぱ、すごいっすね」と感心されたりした。素晴らしい展開である。
 私のこれまでの経験ではエチオピアの人たちは物腰が柔らかく、落ち着いているという印象だが、ここの人たちは陽気だった。特にエフレムさんというマスター(男性の店主)は愉快な人で、「ご飯を食べるのは体によくないよ。なるべく食べない方がいい。私も最近、ちょっとしか食べないから調子がいいよ」なんて珍説を流暢な日本語で主張する。その割にはお腹がぽっこり出ているし、だいたい料理店の主が客に「メシ食うな」というのがおかしすぎる。私たちは冷えたエチオピアのビールを飲みながら笑い転げた。そして店主の忠告を無視してエチオピアの料理をガツガツ食べた。
 エチオピアの料理といえばインジェラである。巨大なピザあるいはお好み焼きにも似た薄焼きのパンみたいなものだが、小麦ではなく、テフ(学名Eragrostis tef)というイネ科スズメガヤ属の穀物の粉を練って発酵させた独特の食品だ。私は現地でテフの畑を見たことがあるが、稲や小麦に比べるとびっくりするほど小さくてか細い作物だ。高させいぜい三〇センチぐらい、ほとんど路傍の雑草に見える。実など粒が小さすぎてよく見えない。実際にアムハラ語で「テフ」とは「見失う」という言葉に由来するという。こんなものを主食にするにはものすごい労働力が必要だろう。テフはエチオピアでしか食べられていないのもよくわかる。たまたまエチオピアの土地に合っているのだろう。低カロリーである反面、ミネラルやタンパク質が豊富であり、グルテンフリーの穀物として近年注目されているようだ。アメリカのセレブにも人気だという。
 そしてテフから作るインジェラは美味い。乳酸発酵しているらしく酸味があり、ホットケーキみたいな気泡を含み、良質のクレープの生地みたいな柔らかさ、なめらかさである。インジェラの上にはワットと呼ばれるソースをいくつもかける。ソースとは言うけれど、肉や野菜をピリ辛味で煮込んだおかずである。つまり、日本人的に言えば、ご飯におかずをのせている感じだ。みんなで一つの大きなインジェラを囲み、各自がインジェラを手でちぎって好きなワットを包んで食べる。「カリフォルニアロールみたいですね」とD岩木君が言った。「あ、けっこう辛い。でも美味しい」とP長井君もうなずく。
 よかった、気に入ってくれて。日本人には、酸っぱいお好み焼きみたいなインジェラが口に合わないという人がけっこういる。私は大好きで、いくらでも食べられるのだが。辛いワットはビールにもぴったりだ。バクバク食べていると、P長井君がややこちらを窺うような口調で訊いてきた。
「でも、高野さん、インジェラ食べて大丈夫なんですか?」
「うーん、わからない。今試している」
「試してるって……」二人の〝後輩〞は微妙な笑みを浮かべた。
 何の話をしているのかというと、私には「疑惑」があった。「インジェラ・アレルギー」あるいは「テフ・アレルギー」ではないかという疑惑だ。
 私はこの十二、三年の間に海外でものすごい下痢と嘔吐に襲われたことが三回ある。よくよく考えると、それはいずれもエチオピアでしかも食事の後に起きていた。私は胃腸が強くないものの通常は下痢をするだけで(酒の飲みすぎ以外では)嘔吐することはほぼない。このときだけだ。
 強いて言えば、私はコンゴで現地の巨大なスッポンを食べるとこういう症状に襲われた。どうやらスッポン・アレルギーだとわかった(でも後で日本で懐石料理の店に連れて行ってもらったとき、スッポンを食べたがなんともなかった。「コンゴのスッポン」だけがアレルギー反応を起こすらしい)。
 エチオピアでの症状はコンゴのスッポン・アレルギーの症状にもよく似ていた。
 ただし確信を持ってインジェラ・アレルギーと言えない理由もあった。最初にエチオピアに行ったのはもう二十年以上昔だが、エチオピアを二週間ほど旅し、毎日インジェラを食べていたにもかかわらず、なんともなかった。
 症状を起こしたときは、三回とも隣国のソマリランドやソマリアへ行く前に経由しただけである。二〇〇九年が最初で、次が二〇一四年、三回目が二〇一七年。一度この食中毒じみた症状が出ると三日ぐらいはまともに食事ができず、次にふつうにご飯が食べられるようになっているときにはソマリ人エリアに入ってしまうので、もうインジェラは食べない。だから本当にインジェラが原因なのか、今ひとつ確信が持てない。せめて二回連続で発症すれば確定するのだが。
 それにもう一つ不思議なことがある。二〇一七年、妻との旅行でフランスのパリに立ち寄ったときにエチオピア料理店でインジェラを食べたのだが、なんともなかったのである。見た目も味もまるっきりエチオピアで食べるインジェラと同じだったのに。とすると、インジェラ・アレルギー説は成立しない……。
 なんとも不思議な疑惑なのだ。
 現地でいきなり私が倒れてびっくりしないようにという気遣いから、この疑惑について二人には話していた。だからこそ彼らは今心配しているのだ。
 私は正直言って何も深いことは考えていなかった。自分はなぜか食べ物に関して「危なそうだから食べるのをやめよう」と思ったことがない。危なそうでも「食べたらわかるだろう」と思ってしまう。
 実際のところインジェラはとても美味しい。三人でたらふく食べた。ビールも飲んだ。「ベタム・コンジェ(すごく美味しい)」とアムハラ語で言うと、「メシ食うな」という店主も奥さんもにこにこしている。
「アジスアベバに行ったら食材買ってきて」「いいよ、じゃあアドレス教えて」などと女将さんとLINEの交換までして、私たちは葛飾区のエチオピアを後にそれぞれ自宅へ戻った。なんとも素敵な夜だった。そのときまでは。

目次

はじめに 1

第1章 ありえない「出発」
1 酒を主食にしている謎の民族デシャ 18
2 葛飾区のエチオピア 27
3 日本医学史上初(?)の"怪挙" 37

第2章 アフリカの京都
1 アフリカの京都は嗜好品天国 46
2 酒飲み民族への道 58
3 オールド・エチオピアの世界 64

第3章 不思議の国のコンソ
1 秘境テレビ番組の舞台裏と裸の王様の苦悩 72
2 異形の村 82
3 酒取材最大の危機 90
4 朝から晩まで酒 100
5 大酒飲みのハードワーカー 113
6 銀河鉄道999の星 124

第4章 劇団デラシャ
1 本格酒民族デラシャの洗礼 132
2 十九世紀以前のアフリカへタイムスリップ 141
3 どっちも土器、みんな土器 149
4 謎と混乱の果てに 155

第5章 ホンモノの家族とホンモノの酒飲み民族
1 ホンモノの家族を発見! 168
2 汝、固形物を食べるなかれ 177
3 味噌入り(?)の濁り酒パルショータ 185
4 テレビ画面に映らない問題 193
5 幻の本格酒飲み民族は実在した 203
6 地下銀行「ポロタ」 212
7 素に近づくと素面でなくなる 221
8 究極の異種格闘技、主食酒VS現代医学 232
9 別れの固形物パーティ 242
10 裏の裏に裏がある 252

エピローグ 261
謝辞 274


▪️四六判並製 ▪️278ページ ▪️ISBN978-4-86011-495-4
本の雑誌社 刊
2025年1月下旬発売

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