
【読書記録】『世界は経営でできている』を読んで考えたこと。
岩尾俊兵さんの『世界は経営でできている』を読みました。
最初、タイトルを見て、気になってたんですよね。
「世界は経営でできている」とは、どういう意味なんだろう? と。
著者が考える「経営」とは、以下のようなものです。
「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」
なので、自分だけが得をするような行為ではなく、皆が同時に幸せになることを考えようということなんですね。
いや、まあ、それはそうで、自分の幸福だけ追い求めてる奴って、他の人からみたらうざいじゃん。嫌な奴じゃん。
そんな奴のまわりからは人っていなくなるし、困っても誰も助けてくれない。本当は助けてもらってたとしても、その援助が不足に思えて、不満ばかりが募る。
この本では、人生のあらゆる点における悩みを、この経営思考で乗り切ろうと主張されています。
自分も他者も幸福でなければ幸福じゃないという視点で、問題の本質は何か、解決すべきことの本当のところは何かを見失わず、解決方法を探していこう、ということです。
仕事、家庭、恋愛、勉強……等々、細かく章立てされて説明されていますが、根本的なところは同じ。
「令和冷笑系」という文章には、ちょっとついていけなさも感じるのですが、まあ若い方向けの本みたいなので仕方ない? てか、冷笑系って格好悪くない? 無責任ポジションで。
文章はともかく、この本の基本的な方向性は、賛同できます。
ただ、おわりまで読むとこの本はいろんな読み方ができてしまうな、と、そちらをちょっと心配になりました。
この本では「価値は有限なので誰かから奪うしかない」という考え方を否定し、「価値創造は無限である」としています。
この「価値有限」→「持っている奴から奪え」を「日本の現状を誰かのせいにする言説」「自己責任論という名の責任回避の詐術」とつないでいるので、これは若者と高齢者を分断し、対立を煽る層を揶揄してる? と読めます。
高齢者にも若者にも一部裕福な人はいて、今の高齢者もリストラの嵐に遭遇してるし、子ども世代が氷河期だからその生活も支えてるし、今後収入が上がる見込みなんてほぼゼロだし(年金生活者だから)、子ども時代は戦中戦後で飢えてるし、戦後の復興に尽力してきた世代なのに、なんで「価値を独占してる強欲層」みたいに敵視されなあかんの? 文句は税金や社会保険料を上げて、でもきちんと運用しないで、どんぶり勘定ザル感覚で無駄遣いしまくった政治家・官僚に言えって。
それとは逆に、無限に価値創造はできると断言してしまうと、そこに至らない人間の自己責任も、この国では迫る人が出るんじゃないかと。そちらが心配。政治を批判する意識を、著者は表明していないし。
ずっと読んでいけば、どう考えても現状の政治的問題を追及する方向やろ? と思うんですが、著者はその辺を断言していないし、言及しない以上、読み方によっては価値創造を個人責任に当てはめて読むこともできるので、それじゃあ政治の腐敗を見逃すことになり、国家の危機をより危うくすることになるのでは? と思う。
歴史に関しても経営でできていると章立てされているし、個人で解決できる問題とそうでない問題はあるので、そこを丸ごと「ひとりひとりが価値創造することで解決する」と思わせてしまうとしたら、それはキツイな。
今現在、どんなに個人が価値創造しても、インボイスで尽く国に持っていかれる状態だし。国の経営理念に「国民全体の幸せ」があるのかどうか怪しいし。
あと、
地球という資源は有限だ。だが人間社会の発展はその有限の資源を「組み替える」ことで成し遂げているのであって、資源を消滅させて実現しているわけではない。
(中略)レアメタル/レアアースは「消えて」はいない。岩や土の中からスマホや電気自動車の中へと「移った」だけだ。
とされていますが。
う~ん。物質は自然発生も消滅もしない、それはわかるんですが。
これって、二酸化炭素からエネルギーを生み出す方法を開発できない限り、価値創造の手前で足踏みし続けることになるんじゃないでしょうか。
地球上の物質は消滅していない。ただし物質変換後の世界が、人類の生存・発展に適したものとは限らない。
価値は他人から奪うものだ、という考え方には私ももちろん反対ですし、著者が考える経営→価値創造の考え方には賛同します。
ただ、無限に価値創造できる人は限られた人で、誰もが新しい商品(例えば二酸化炭素から新しい価値)を創造できるとは限らないし、でも「できるんだよ」みたいな風潮になってしまうと、自己責任論まっさかさまだなと。
しかも現代は、価値創造できないから他人(他国)から奪おうとする時代で、弱者(小国)はそれに抗うために命をかけなければならない。
創っても創っても奪われるし、経営意識は国境をまたぐことが難しい。
ああ。だから小国の国民である我々は、この経営意識をちゃんと持って、意識そのものを他の小国と共有できるように広めて、連帯することで生き延びることを模索しなきゃいけないのか、これからは。
自己責任論とかではなく、小国の国民は、生き延びるために友愛とイノベーションに人生を賭していく必要があるのか?
ちょっと、本編の論理から逸脱してしまった感もありますが、そういうことを考えました。
狭い社会でも広い社会でも、皆が同じ方向に向いているとは限らないし、むしろ別の方を見ているし、力で他人を抑え込もうとする人の多いこと多いこと。
だから、皆の幸福につながる価値創造としての経営意識が、この本で提示されていることで、良き社会が広がっていけばいいなと思うのです。
自分の周囲の人も見知らぬ誰かも、皆大切な個人であることに変わりはないので。
いいなと思ったら応援しよう!
