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【読書記録】『藤原道長「御堂関白記」を読む』を読んで考えたこと

倉本一宏さんの『藤原道長「御堂関白記」を読む』を読んだ話をします(なんか読むばっかりやね)。

NHK大河の『光る君へ』から、まだまだ平安時代に入っております。
気になる分野はどんどん攻めていきたい、でも本格的なのはちょっと……。そういう中途半端な気持ちから、『御堂関白記』ではなく『「御堂関白記」を読む』の方に行きました、はい。

ちなみにもう少しライトなのはこちら⤵

段階を踏むっていうのは、素人にとっては大事ですよ(と自己肯定)。

『藤原道長「御堂関白記」を読む』は、自筆本および古写本の画像、活字起こし文、現代語訳文、および解説からなっています。
道長の自筆文や古写文を、活字起こしされた文と比べながら読んでいったり、現代語訳を読んで意味を拾ったり、解説文で古書の味わい方や時代背景を学んだり、なかなか濃密な時間を過ごさせていただきました。


人間らしさを味わう

道長や写本された方には大変失礼だなと思いつつも、「書く場所間違えた!」と焦っていたであろう様子や、それをリカバリーすべく記号でつないだり、行間に小さな文字で強引に書いてみたり、自分でも身に覚えのあることをやっている人々の痕跡(しかも国家権力者が!)を見ると、くすっと笑っちゃいますよね。あるある。

ただまあ、どんなに優秀で権力を持っている人やその一族でも、完璧超人ではないし、そもそもお坊ちゃんで学問をしてきてない道長は漢文苦手だし、日記も公開するつもりで書いていないわけだし(息子や孫には見せるつもりあったらしいけど)、人間だもんね。

全世界の人に見せるつもりじゃないのに、強引にやったことなどに対して、やたらと言い訳をたらたら書いているのも、やっぱり後ろめたい気持ちがあったんかい! と突っ込みたくなりますがね。
「この世は望月」と詠いつつも小心者じゃん。
まあ、独裁者って得てして小心者だったりするんですが。

天皇の呼称は「内」か「主上」?

以前、『創られた「天皇」号 君主称号の古代史』を読んだので、『藤原道長「御堂関白記」を読む』内に出てきた、天皇の呼称にも注意してみました。

すると、一条帝、三条帝、後一条帝を通して多いのが、「内(大内)」と「主上(上)」でした。
「主上」はまあ「オカミ」として、「内(大内)」は内裏を表してるみたいですね。

まあそれ以前に、主語を省いてる部分が意外と多かったんですけど。
貴族の人々については、役職名とか名前とかを割と書いているのに、天皇のスルー率は意外と高い。
狭い島国で、350年以上癒着し続けてきた相手が天皇だから、まあ隠語的になるのもわからんでもないですが。

逆に貴族について細かく書いてるのは、いちいち名前を書き残していないと、誰が自分の味方として行動したかわからなくなるから……かもしれませんけど。
300年くらい前に「天皇」とした呼称を、道長は「御堂関白記」には書いてなさそうですね。

道長は大和魂の人?

この本に大江匡房の言葉として「摂関は漢才がなくとも〈やまとだましいひ(大和魂)〉さえあれば天下を治められる」とあるんですね。
漢才(からざえ)は漢籍の教養で、大和魂はその対比語として、現実に即応して人心を掌握し、実務を処理できる能力、と。

え? 大和魂ってそういう意味だったの?
上司から無茶ぶりされても命がけで頑張って死ぬ、とかじゃなくて?

それにつけても、日本人の反知性主義って1000年前から来てるのかあ……こりゃ天然ですな。
トップに実務能力があって、人をうまく動かし、臨機応変に物事を動かせたとしても、教養に対する敬意がなければ失敗するじゃん。
一条天皇が教養の人だったから、道長はその下地をうまく利用できたということじゃないのかなあ……と思ったんですけど、いかがですかね。

疑問点

『藤原道長「御堂関白記」を読む』を読んでいて疑問に思ったのが、以下の点。

正史や勅撰儀式書がつくられなくなったから、貴族たちが日記を書き残すようになったとあるけれど、じゃあなぜ正史や勅撰儀式書はつくられなくなったのか。
それまで記録していたものをしなくなるということは、やめることで得をする人間がいたということだけど、それは誰なのか。どういう利益があったのか。
そこを知りたい!

こちらについて、こういう本に解説が載っているよ、とご存じの方がいらっしゃいましたら、コメント欄にてご紹介いただけますと幸いです。
よろしくお願いいたします。

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