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【読書記録】『セカンドキャリア 引退競走馬をめぐる旅』を読んだ話。

『セカンドキャリア 引退競走馬をめぐる旅』を読んだ話をします。

家族に馬好きがいるので、なんとなく引きずられるように、馬関連の本を手に取ってしまいます。
読んで知れば、それだけ親近感も増すので、いつの間にか自分の「好きなもの」の中に入ってしまいますね。
過去の馬関連の記事はこちら⤵


あらまし

この本では、著者の片野ゆかさんが、引退競走馬とその保護活動をされている方々を訪ねて全国を旅された記録が、つづられています。
片野さんご自身も一口馬主になられ、引退競走馬を支援されています。
日本の競馬史や、JRAと国家のつながり、ひいては我々の生活が競馬といかにつながっているか、そういうことも学べる本です。
軽い内容かと思いきや、かなり考えさせられる本でした。

大量生産大量消費の競走馬

テレビの競馬中継に出てくる馬は氷山の一角で、毎年6000頭もの仔馬が生まれ、同程度の馬が行方不明になっているとのこと。
まさにペット業界と同じ、大量生産大量消費ですね。
で、この行方不明ですよ。
詳しいことは一切書かれていないですが、6000頭のサラブレッドが毎年野に放たれるわけじゃないですよねえ。それでは農作物の被害が半端ないだろうし、熊に喰われた死骸も出るだろうし、そもそも人間の目撃情報がもっと出てる。
闇に葬られた? と思っちゃいますよね。

これで「お馬さんかわいそう」と言えば、「牛・豚・鶏はかわいそうじゃないのか?」という話になってしまって、結局、動物を食べることでタンパク質を補給している人間の業を問うことになってしまいますが。
いや、でも、競馬って娯楽では?
人間の娯楽のために、生き物を大量生産大量消費するということって、かなり人間の驕りが入っていませんか? ギャンブル依存症の人も生んでしまうし……。

それに、引退競走馬をリトレーニングされてる方のお話の中に、「馬としての社会性を身に着けていない元競走馬もいる」というのがありまして。
つまり、より速く走ることだけを叩きこまれてきたので、他の馬と馬同士の関係を築くことができない馬がいると。
リトレーニングでは、母馬との関係をやり直すところから始めて(人間が母親の代わりを務めて)、その上で他者との関係性が築けるように指導していくとのことで。

いや、もう、ちょっと、虐待入ってない?
ホント、人間にとって都合のいい道具扱いじゃん。
業が深いよ~、深すぎる。
家畜だって、共存してなんぼじゃないですかねえ。

JRA売り上げ3兆円、国庫納付金3700億円

日本って失われた30年とか言ってるくせに、世界で最も馬券の売れてる国なんですね。
売り上げ約3兆円だそうですよ。
そのうち、馬券購入者への払い戻し金で約75%を支出。
10%が国庫納付金として、国に治められる。
ほか、営業利益の半分も国庫納付金になるとのことで、2022年度の納付金は3700億円。
国にしてみれば、ボロ儲けでは?

もちろん、この国庫納付金の4分の3は、畜産推進事業費に充てられていて、食肉の流通や家畜伝染病対策にも使われているようです。
馬券の売り上げの一部が、鳥インフルエンザの対策費になっているのかと思えば、むむむ……有効活用されているのか……。
残る4分の1は、社会福祉事業に充てられているとのことですが、著者が調べた限りでは2014年の資料しか出てこなかったようで、あ、記録残してない? 怪しくない?

日本の競馬産業が、がっつり国策になっていて、その上に我々の食生活も乗っかっているのかと思うと、競馬の業なんて言える立場じゃない。
30年後の日本はどんな国であるべきか、そのためにJRAと国の関係も含めてどういう方向にもっていくのがいいか、考えないとまずくない? と思うのでした。(なんとなく「日本は大丈夫~」と思ってやってきた30年で沈滞してるので)

この本では、日本の競馬史もさらっとではありますが、記されています。
それによると、そもそも日本の競馬って、当初は外圧に押されるような形で始まったみたいですね、幕末に。
最初の馬主兼騎手が、西郷隆盛の弟とは……時代を感じます。
しかし明治後半には、条約改正から馬券販売禁止された、つまりそもそも日本は競馬をやりたくなかったということ?(賭博だしねえ)
1923年(大正12年)に日本初の競馬法(旧競馬法)ができ、馬券販売も合法化し、戦後の国営競馬、中央競馬につながっていくようですが。

歴史を読むと、「ああ、日本って、その場その場で対応してきた結果が今のこれか~」という気がめっちゃします。
しかし、2022年11月の参議院農林水産委員会で、「競馬法の一部を改正する法律案」の附帯決議として、引退競走馬のセカンドキャリア支援が付されたとのこと。しかも予算が約13億円!(財源は国庫納付金)
行き当たりばったりでも、金を持ってるところは違いますね。
お馬さんも支援活動をされてる方々も、みんな幸せになりますように、祈らずにはいられません。

馬と生きることの意味

この本で、著者は川嶋舟さんにインタビューに行かれているんですが、川嶋さんの言葉が非情に印象的でした。

馬は人間より大型の生き物なので、力ずくで動かすことはできない。
馬と接するには〈自己理解と自己受容〉〈他者理解と他者受容〉が揃った状態が必要になる。
つまり、自分の気持ち、欲求を客観的に理解し、馬の気持ち、欲求を理解すること。互いの関係性の間で、”折り合いをつける””心の引っ張り合い”が必要。
ということなんですね。

馬に接することで、相手が自分の思い通りにならなくて当たり前ということを知り、かといって相手にすべてをゆだねるのでもなく、互いの気持ちの折り合うところを見つける。

これ、相手が馬ではなく猫や犬などの小動物だったら、得られない感覚だなと思いました。
明らかに人間より小型の動物に対しては、虐待してしまう危険性があるじゃないですか。

でも、馬は人間より力が強いから、人間の思うようにはならない。
時には馬を待たなければならない。
現代人は他者を待つことが苦手で、常にタイパを考えてしまう。
待てない人間は、結局自分のことしか見えていないから、他者ともうまくいかなくなる。

馬に接することで、人間関係を築く力を得ることができるそうです。
確かに人間同士も、他者を力ずくで動かすことなんてできないし。
コスパ・タイパ優先で他者と接したら、そりゃラクでいいでしょうけど、相手から見たら「いやな奴」ですな。
ああ、我々も、鞭をふるわれてがむしゃらに「生産性」を競わされている競走馬……。

おわりに

私も、家族がウマ娘→競走馬で、競走馬に興味を持ったクチですが、ウマ娘ファンの方々が引退競走馬支援をされているとのことで、裾野がどんどん広がっているようですね。

ただ。
個人的には、馬の美少女化というのは、前述の川嶋さんの説と少々ずれるというか、少女は大人の男性に力ではかなわないので、どちらかというと犬猫だなという気がします。
なので、馬が馬である特性を、ウマ娘は半減させてしまっている気がします。
だから、ゲームの力すごい、と肯定するのは、たとえそれで世間の風向きが変わったとしても、変わればいいのか? という気がしなくもない。
馬に携わる方々が肯定されるのとは別に、私は個人的に疑問を投げ続けたい。

なんか、お馬さんの可愛いお話とか、セラピー馬はこんなに頑張ってるよな話とか、全然取り上げていなくて申し訳ないんですが。

まずは興味を持って馬を知ること。
ネットの情報をシェアしたり、いいねをつけたり、身近な人と話したり、多分、こんなふうに記事を書くことも、支援の一歩だったりするそうですので。

今のJRAと国の関係性も含めて、これからどうしていくのがいいか、私も考えていきたいと思います。
ありがとうございました。


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