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【読書記録】川野芽生さんの『Blue』を誤読した話
川野芽生さんの『Blue』を読みました。
この本は、年末の東京新聞書評欄で取り上げられていたんですよね。
人様の書評というのは、やっぱり本を選ぶ基準になります。根がミーハーなので。
面白かったんですが、いろいろ考えさせられる小説でした。
以下、ネタバレかましますので、ご了承ください。
アンデルセン『人魚姫』解釈の面白さ
ストーリーの前半は、アンデルセン『人魚姫』の舞台を高校の演劇部でやるというもので、その解釈が独特なんですよね。
恋愛はそもそも民主的ではないという読みとか、ジェネレーションギャップをめちゃくちゃ感じました。
王子そっちのけで、人魚と人間の姫との物語にしてしまう。いや確かにその読みができる余地はあるけれど、憐れみからの共依存の話になるとは、昭和の人間には予測不能です。
今を生きる若者は、人間の本質を読んでいるんですかね?
年寄りがかなわないわけです。
トランスジェンダー女子の追い詰められ感
トランスジェンダー女子が、第二次性徴を止めるために、どれだけ経済的にも時間的にも追い詰められているのか、この小説を読んで初めて実感しました。
劇で人魚姫を演じた真砂は、戸籍上は男子で、高校時代は第二次性徴を止める医療を受けていた。
大学に入ったらバイトしてホルモン療法を受けつつ、性別適合手術を受けるためのお金をためて、インターンが始まる3年生までに女になろうと、一刻の猶予もない計画を立てて春を迎えるものの、コロナ禍に突入。不要不急のホルモン治療は延期され、バイトもできず、止めていた第二次性徴が進んで、背が伸び、声が低くなり、持っていた女物の服がすべて着られない身体になってしまう。
母校演劇部で『人魚姫』再演の話が出ても、自分はもう人魚姫はできないと告げる。
通称名も真砂から眞靑に変え、女の子として生きることを諦め、男のふりをしつつ、大学で唯一友だちとなった葉月(昔で言うところのダメンズウォーカー)を守りたいと願う。
トランスジェンダー女子が思春期でどれくらい追い詰められるのか、成長していく恐怖のようなものは、この作品を読むまで全く理解していませんでした。
失敗の許されないタイムスケジュール。そりゃ、メンタル疲弊しますわ。
本当は、大人になって性別変わったとしても、周囲の人間が普通のこととして受け止められればいいんですけど。そうであるなら、思春期にこんなに追い詰められなくてもいいはず。
そういう社会にした方がいいし、一部の女装性犯罪者とは切り離して考えるべきことなんですよね。
眞靑の本心は?
眞靑自身、女の子をやめた原因を「葉月を守りたいから」としていますが、でも『人魚姫』の解釈と同じ共依存なんですよね。
というか、女子として生きるには背が高く身体がごつくなり過ぎた眞靑が、コロナ禍というどうしようもない状況のせいにしても仕方がない、虚しすぎるからこその、結果をいかに肯定的に自分が受け入れられるか、そのための装置としての「不幸な女友だち葉月」だったんだと思います。
葉月を支えて生きるという、ポジティブな人生の選び方。
高校時代の仲間うだが、生きづらそうなヒカリを支えるために法学部を選んだ、というのも下地になっていると思われます。うだとヒカリは、つかず離れずの距離から進展することはない、女子たち。
彼女らの、互いを理解しつつ距離を保って、衝突を避ける関係性を、眞靑は思い描いていたのかもしれません。
でも、どの性別で生きるかを、他者の存在に委ねたら、委ねられた方は重いよなあ。
委ねる方は、何か不都合なことが起こったときに「あの子のために仕方なかったんだ」と言い訳できるから、最終的に決定責任から逃れてラクになる。それは無責任でしかない。
まあ、二十歳やそこいらの子に、そこまで求めるのも酷かもしれませんが。
30年後50年後が読みたい
この小説では、主人公たちの高校から大学2年までが、描かれています。
男とか女とかではなく、友人・恋人・結婚相手とかではなく、人と人との関係はそれぞれであっていい。自らの立ち位置を探る若者の姿が、眩しくも、危うさをはらんでいるように思えます。
若いときはいい。
でも、30年後50年後の彼女らは、どうしてるだろう?
密接な関係性を築かず、それでも自分たちのペースでやっていけるのは、若さと、演劇部の仲間という繋がりがあるから。
このまま50代70代になってしまったら、どうなる?
という心配を、老婆心ながら抱いてしまうのでした。
ず~っと演劇部の関係性だけでも続けられたらいいだろうけど、そこのほころびももう見えてるし。それぞれの家庭環境の複雑さとか、このままいったら破綻が見えてる状況とかが、あちこちに。
眞靑は両親と疎遠だし、ヒカリは母子家庭で汚部屋暮らし。兄がひきこもりの子もいる。
うだは就職してヒカリの生活を支える気だけど、女子の硝子の天井問題もあるし、間違ってうだとの仲が破綻したら、ヒカリは精神病みそうな気がする。
なので、50代70代になった眞靑やヒカリ先生の物語が読みたいな、と思うのでした。
でもそんな続編が書かれるのが、30年後だったりしたら、私が読むのは難しいかもな年齢的に。
あ、だから二次創作したがる勢がいるのか。どう考えても読めない続編を、自分で考える人たちが。
おわりに
この作品は、個人的には「読んでよかった」本です。
自分とは違う境遇で生きている人の気持ちって、単に想像しているだけじゃ想像し切れない、やっぱり小説にしてもらうことでわかることがある、それを本当に思いました。
自分が当たり前と思っている世界は、本当はちっとも当たり前じゃなくて、見知らぬどこかの他人は、全く違う考え方をしながら懸命に生きている。
それを読むことで、自分の世界も広がるし、自分自身の考え方も変わっていく。
小説を読む意義の一つがそれで、生きていくために必要なものである。
だから、小説を読むことが必要だし、面白味があるんですよね。
まあ私自身、精神的にしんどいときって、他人の物語を読む気力もなかったんですが。
余力があるときに少しでも読んでおいて、自分の中にいろんな物語を蓄えておこう。しんどいときには蓄えた物語から助言を貰おう。
そんな邪な気持ちを抱きつつ、今日も本を読むのでした。
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