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【読書記録】『窓ぎわのトットちゃん』を誤読する。
年末年始に『窓ぎわのトットちゃん』『続 窓ぎわのトットちゃん』を読みました。
なんで今さら?……なんですけど。
保坂展人さんの『国より先に、やりました』を読んだ時、オルタナティブ教育について書かれていたので、オルタナティブ教育といえばトモエ学園だよなぁと思っていたんですね。
で、この際ふりかえろうかと。
『続』の方は読んでなかったので、いい機会じゃんということで。
『窓ぎわのトットちゃん』について、今さら何か説明する必要もない気がするんですけどね。アニメにもなったし。
言わずと知れた黒柳徹子さんの自伝的物語で、伝説的なベストセラー作品。
どのくらい売れたかって、我が家にある本の奥付を見ると、1981年3月初刷で、同年12月には42刷ですよ。9か月で42刷! ちょっと今では信じられない勢いですよね。
一億人が読んだ! が、全然嘘じゃないくらいの。
なにしろ、普段は本を読まないうちの母でさえ、「面白いって聞いたから」と買ってきたくらいなんで。ミーハー親子です。
今から振り返ると、なんであんなに売れたんですかね。
もちろん、ネットのない時代だったので、本を読む国民が今より圧倒的に多かったというのもありますし、タレント本の走りとして、かつ黒柳徹子さんという超個性的なスターの幼少期に対する興味、児童書としての読みやすさ面白さ、子育て世代からは育児書的な読まれ方もあったのではないかと。
こうして書き並べてみると、読まれるべくして読まれた本、という感じですね。
当時、私は小学生でしたので、物語としての面白さと、トットちゃんというキャラクターの魅力にひかれて、夢中になって読みました。
1981年当時も、トットちゃんのような天真爛漫で、素直で、裏表のない子なんて、そりゃもう普通にはいませんからね。
トットちゃんのようになりたい。トットちゃんの学校に自分も通いたい。
自分にはないものを持っている憧れの存在。トットちゃんとは、そういう存在でした。
アニメが公開されたとき、「トットちゃんは上級市民」みたいなことが言われていましたが、子どもの頃はそんなこと思いもしなかったので、正直ものすごく驚きました。と同時に、だからトットちゃんはあんなに輝いて見えたの? と。
確かにお父様は超一流のバイオリニストで、お母様もあの時代に音楽学校に行けるようなお家の方で、恵まれた環境にあったことは事実でしょう。
ただ、そういう経済状況以上に、ご両親が人としてトットちゃんを慈しんでおられた、そちらが重要だと思ったんですね。
小学校になじめなかったトットちゃんが卑屈になることなく、トモエ学園に通うことができた。その裏には、トットちゃんを全肯定する両親の愛があった。その愛は、子どもを労働者として見る当時の農民とは、違うものだったかもしれない。
農民の子に生まれてたら、小学校になじめなかった時点で、百姓の手伝いをする子以外の道はなかったでしょうから。
でも、お嬢様だったトットちゃんのお母様も、料理や裁縫が得意で、センスが良くて、家事を切り盛りなさってたんですよね、お母様のお母様は家事一切ができない方だったというのに。
その上、疎開先では、倉庫のような場所を間借りして住みやすい部屋にしたり、農協の事務の仕事をしながら定食屋を営んだり、魚市場で買い付けた魚の干物を東京に持って行って売り、東京にしかない雑貨や衣類を買い付けて地方で売ったり、そうやって稼いでためたお金で東京に再び家を建てたというんですから、お母様凄すぎ。とても真似できそうにない。
トットちゃんのお父様は、赤紙が来て出征した後、シベリア抑留兵として苦労されたようですが、そのお父様が復員される頃には、一家で疎開先から戻って東京に一軒家を構えてた。おまけにどうもお手伝いさんもいたらしい。繰り返しますが、お母様凄すぎ。この方が日本人の基準値になってたら、今ごろ国家壊滅してるんじゃないかと思えるレベルの高さです。
トモエ学園の教育方針について確認するために読み始めたのに、お母様の有能さに打ちのめされてしまいました。
おひとりでビジネスを成功させられただけじゃなく、お子様方に対する愛情も深く、対応はいつもお子様ファーストで、その上、北海道のお母様(トットちゃんのお祖母様・家事一切できない奥様)を引き取られて。やば過ぎです。この方を母・妻・娘の基準値に絶対しないで! 不幸しか生まないから!
あ、なんか、トットちゃんについてほとんど書いてないじゃん。
『続』にあった戦時中の話ですけど、ひょっとして黒柳徹子さんはこの文を書くために『続』を書かれたのかなあ、と思う部分がありました。
大人になってから気づいたことだけど、この日の丸の小旗を振ったことをひどく後悔した。どんな理由があっても、戦いにいく人たちを「バンザーイ!」なんて言って見送るべきではなかった。スルメが欲しかったにしても、トットは無責任だった。そして、無責任だったことがトットが背負わなくてはならない「戦争責任」なのだと知った。
子どもだった、知らなかった、やらないわけにはいかなかった、そういうのが無責任だと、それが黒柳徹子さんが背負ってこられた「戦争責任」だと、そういうことですね。
「昔のことだから」ではなく、ずっと背負わなければならない責任。
泣いてもわめいても、なかったことにはできないから。
トモエ学園の教育方針についても、あらためて読むと、大人の傾聴が子どもを育てるってあるなあと、そこは思いました。
トモエ学園のやり方が、現在では全部OKというわけにはいかないけれど(裸でプールとか絶対NG)、軍隊式の学校じゃなかったから、子どもがのびのびとできたし、基本の学習が自習でも小学校だからいけたんじゃないかなと。
昨今のオルタナティブ教育だと、小学校が普通の軍隊式で、中学高校がトモエ学園方式の自習中心学習……みたいなイメージがあるんですが、それだと学習できる子とできない子の差が激しくなるだけなんじゃないかと。
いわゆる不登校の子たちが、通信制高校に流れていくのを見ると、独学できる子はすごく伸びる反面、独学苦手な子はただただ放置されてる。ネットで授業の動画配信やってるよ、と言われても、それで学べる子はそもそもできる子なんだわ。
トットちゃんは、好奇心旺盛で、素直で、勉学にも真面目に取り組む子で、だから女学校にも音楽学校にも進学します。
そんなトットちゃんも、NHKに入りたての頃は、何度もダメ出しされることに本当に悩んでらして、自分の才能はどこにあるんだろう? と、今の普通の若者と同じように、人生に迷ってらしたんですね。
ただ、当時の社会は今より全然おおらかだった。
ダメ出しした若手の人件費をケチったりしなかった。「今日は帰っていいよ」と言いつつ、ギャラは払ってくれた。除籍もしなかった。
だからトットちゃんにしかできない役が回ってきた。
「徹子の部屋」は、もうすぐ丸49年にもなる長寿番組ですが、この番組を脅かすような番組もタレントも、今、存在してるんでしょうか。
育っていないとしたら、日本社会の敗北じゃないですかね。
我々はいつまで、黒柳徹子さんにすがっているんでしょう。
正月休みは、そんな様々なことを考えておりました。
ご一読いただきありがとうございました。
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