山川出版社『詳説日本史探求』の考察⑧
山川出版社発行の『詳説日本史 日本史探求』について、従来の『詳説日本史』からどのような記述の変化があったかを、自らのメモも兼ねてこちらに記していきます。
今後の学習のヒントになりうる要素もあるかもしれませんので、ご自由に活用いただければと思います。
※比較に際して見落としなどが発生している場所もあるかもしれませんのでご了承ください。
※私が参照しているのは2018年発行の『詳説日本史』なので、以後の版で既に修正が加わっている内容もあるかもしれませんが、この点ついてもご了承ください。
※従来の山川出版社『新日本史B』などの記述が統合された箇所なども、変更点として列挙していきます。
《律令国家の変容》
■ 平安遷都と蝦夷との戦い
・大伴氏・佐伯氏らが退けられたという記述が欄外へ。
・律令国家の支配拡大について「さらに北へ向けて支配を拡大した」という大枠が前置きとして追記。
・阿弖流為を「帰順させ」が「服属させ」に表現変更。
■ 平安時代初期の政治改革
このパートは、かなり記述がわかりやすくなった印象です。
・桓武天皇の政治方針について、「地方政治を改革する」という抽象的表現が「地方政治の緩みをなくそうとし」とより具体的に。
・健児採用の背景として「東アジアの緊張緩和」が明記。
・「桓武天皇の改革」が「積極的な政治改革」と言い換えられ、これが平城~嵯峨天皇へ引き継がれたという記述に変化。
・平城天皇の改革の具体例が明記。
・弘仁格式が「編纂された」から「つくられた」に表現変更。
・『令集解』の説明部分に「令に関する法律家たちの注釈を集めた」という表現が追加。
■ 地方と貴族社会の変容
・一紀一班への変更理由が、班田収授の「励行」から「継続」に修正。
・班田収授の停滞に続けて「農民間の格差拡大」が追記。
・「官田が諸司田に分割された」という記述が追加。
・勅旨田が「公費で開墾された」という点が追加。
■ 唐風文化と平安仏教
・本文中でも、貴族を中心とした「唐風文化」であるという表現が明記。
・嵯峨天皇が「とくに」唐風を重んじたという表現に。
・大学別曹を設けたのが「貴族」から「有力貴族」へと差し替え。
・南都寺院が新京に移転しなかったことについて、「移転させず」と権力による圧力があったことが明記。
・延暦寺が成立する流れがやや従来より詳しく記述。
・欄外の最澄の説明が「法相宗の徳一との論争」に差し替え。
・欄外の空海の説明が「青龍寺で恵果に学んだこと」に差し替え。
■ 密教芸術
・一木造がどのようなものか明記。
・仏像の特徴として「量感あふれる表現」という点が挿入。
・仏画の特徴として「峻厳・霊妙」という点が挿入。
・密教の中心仏が大日如来であることが本文中に明記。