山川出版社『詳説日本史探求』の考察⑪
山川出版社発行の『詳説日本史 日本史探求』について、従来の『詳説日本史』からどのような記述の変化があったかを、自らのメモも兼ねてこちらに記していきます。
今後の学習のヒントになりうる要素もあるかもしれませんので、ご自由に活用いただければと思います。
※比較に際して見落としなどが発生している場所もあるかもしれませんのでご了承ください。
※私が参照しているのは2018年発行の『詳説日本史』なので、以後の版で既に修正が加わっている内容もあるかもしれませんが、この点ついてもご了承ください。
※従来の山川出版社『新日本史B』などの記述が統合された箇所なども、変更点として列挙していきます。
《地方政治の展開と武士》
■ 受領と負名
・律令制崩壊の原因として、国司のもとで実務を担っていた郡司の衰退という指摘が具体的に記載。
・偽籍の実例図版が「周防国玖珂郡玖珂郷908年」のものから「阿波国板野郡田上郷902年」のものに差し替え。
・「受領が郡司の任免権を握って彼らを駆使するようになった」という記述が追加。従来は単に「郡司たちを強力に指揮」となっていました。
・強欲な受領の代表例であった「藤原陳忠」の欄外記述が削除。
■ 荘園の発達
・開発領主となった存在として、国司の子孫たちのほかに「地方豪族」が追加。
・開発領主の寄進理由が「国衙からの干渉を免れるために」という表現に。
・開発領主が寄進したのが「所領」から「所領を含む広大な土地」と変化。
・領家からの寄進先が「上級の貴族や有力な皇族」から「摂関家や天皇家」と具体的かつ簡潔に。
・国免荘の成立過程が「受領によって独自に(税の)免除を認められた」とわかりやすい記述に。
・受領が荘園を整理しようとしたが効果が上がらなかったことが明記。
■ 地方の反乱と武士の成長
・平貞盛が「将門の従兄弟」であったことが明記。
・藤原純友が乱を起こした背景が明記。
・「天慶の乱」に関する説明が欄外へ。
・天慶の乱平定を契機として「兵の家(軍事貴族)」が成立したという記述が追加。
・源頼光,頼信兄弟が藤原兼家,道長に仕えたことや諸国の受領を歴任したことについて明記。
・刀伊の入寇がこの章の欄外記述として移動。
・前九年合戦、後三年合戦の記述が削除。「院政の開始」へ移動。