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山川出版社『詳説日本史探求』の考察③

山川出版社発行の『詳説日本史 日本史探求』について、従来の『詳説日本史』からどのような記述の変化があったかを、自らのメモも兼ねてこちらに記していきます。
今後の学習のヒントになりうる要素もあるかもしれませんので、ご自由に活用いただければと思います。

※比較に際して見落としなどが発生している場所もあるかもしれませんのでご了承ください。
※私が参照しているのは2018年発行の『詳説日本史』なので、そこから既に修正が加わっている内容もあるかもしれませんが、この点ついてもご了承ください。



《古墳文化の展開》


古墳時代へ入っていきますが、旧石器~弥生時代ほどの大きな変化はない印象です。どちらかというと細部の表現の修正などが中心。また、情報は増えるというより減ったものが多いように見受けられました。

■ 古墳の出現とヤマト政権
・大き目の出現期古墳の例であった「浦間茶臼山古墳」「石塚山古墳」が削除。箸墓古墳の大きさを強調する噛ませ犬的な扱いだったのでまぁ妥当でしょうか。
・飛鳥時代という呼称の由来を「飛鳥に政治の中心があったことから」と明確化してあります。

■ 前期・中期の古墳
・埴輪が並んでいる写真資料が五色塚古墳のものになりました。葺石も同時に確認できるからでしょう。
・欄外記述であった、大仙陵古墳造営に必要な人数と時間の記述がなくなりました。

■ 東アジア諸国との交渉
・「倭国」が「倭」の表記となりました。
・「好太王」が「広開土王」の表記優先に修正されました。
・欄外記述であった「騎馬民族王朝征服説」の記述がなくなりました。

■ 大陸文化の受容
・「西域」を「中国の西方にある地域」として具体的に定義。
・仏教公伝538年の典拠から『元興寺縁起』が消えました。

■ 後期の古墳
・竹原古墳壁画の記述について、「青龍」に関する内容が削除。
・群集墳の説明が「小型古墳が数多く集まった古墳群」という説明に差し替え。従来は「群集墳と呼ばれる小古墳」と、古墳群ではなく古墳単体を指すような記述になっていました。

■ 古墳時代の人々の生活
・「豪族(在地首長)」が単に「豪族」という表記に変更。
・「環濠」が単に「濠」という表記に変更。
・「民衆が住む、複数の竪穴住居と平地建物(従来は平地住居と記述),さらに高床倉庫などからなる基本単位」のことを「屋敷地」という語で括ってあります。

■ ヤマト政権と政治制度
・「古墳の終末」のテーマと記述の順番が逆転しました。それぞれ扱っている時代が、「古墳の終末」=「6C末~」、「ヤマト政権と政治制度」が「5C後半~」なので、時系列順と考えれば適切でしょう。
・ヤマト政権が形成した支配体制が「九州中部」から「九州」へとやや幅を持たせたものに修正されました。

■ 古墳の終末
・「龍角寺岩屋古墳」「壬生車塚古墳」が欄外記述となりました。


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