山川出版社『詳説日本史探求』の考察②
山川出版社発行の『詳説日本史 日本史探求』について、従来の『詳説日本史』からどのような記述の変化があったかを、自らのメモも兼ねてこちらに記していきます。
今後の学習のヒントになりうる要素もあるかもしれませんので、ご自由に活用いただければと思います。
※比較に際して見落としなどが発生している場所もあるかもしれませんのでご了承ください。
《農耕社会の成立》
■ 弥生文化の成立
・米づくりが九州北部で始まった時期を「紀元前8世紀頃」としています。
・弥生時代の区分に「早期」が加わりました。従来は「稲作が開始されていながら縄文土器を使用している時期を早期ととらえようとする意見もある」という記述でした。
・青銅器と鉄器の出現時期が明確になりました。
・弥生土器の成立過程が追記されました。
■ 弥生人の生活
・水田について、乾田が「半乾田」となりました。また、湿田と半乾田がどういった場所に作られたかが追記されました。
・田植えの前段階として「直播」が本文に挿入。
・アワやキビの雑穀の栽培について記述。
・「ブタの飼育」が「イノシシの飼育」になりました。
・銅鏡について、中国鏡がみられるようになったことと楽浪郡設置の関係性が欄外に追記されました。
・再葬墓について、東日本で「方形周溝墓が伝わるまで」見られたという文脈になりました。
・四隅突出型墳丘墓の画像が挿入。
・弥生人の「シカ」や「鳥」の信仰に関する考察文が挿入されました。
・シカの肩甲骨を用いて占いをおこなった痕跡として「卜骨」が登場。
・弥生時代後期に、九州北部と近畿の2つの地域圏が形成されたということが明記されました。
・銅鐸が個人の墓に埋められることが「まったくない」と記載されました。正誤問題の引っかけとして殺傷力を発揮しそうです(「まったく~」のような極端な記述は誤文と判断したくなる場面が多いため)。
・青銅器が埋められたことへの考察が挿入。
・銅鐸の起源が「朝鮮式銅鐸」から「朝鮮式銅鈴」へ修正。
■ 小国の分立
・「環濠集落」「高地性集落」の語がコラムから本文中に移動。また欄外にも詳細が記述され、「古曽部・芝谷遺跡」にも言及されています。
・「朝貢」の説明が欄外に挿入されました。
・金印が「粘土を用いた」封印に用いられた、とやや細かい記載に変化。
■ 邪馬台国連合
・纏向遺跡の規模が追記されました。
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