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不東の精神 大谷徹奘(法相宗大本山薬師寺執事長)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2024年10月号「そして旅へ」より)

 中国四大しだい奇書の一つ『西遊記』に登場する三蔵法師のモデルとなった玄奘げんじょう三蔵さんぞうをご存知でしょうか。およそ1300年前の唐時代に活躍なされた高僧です。

 玄奘三蔵は真の仏法を求めて単身で中国からインドへ。鎖国政策を破っての旅は、捕まれば死罪、更に灼熱のタクラマカン砂漠、万年雪の天山山脈など辛苦の連続です。旅立ちに際し「インドに達して真の仏法を会得するまでは、一歩も東(中国)には向かわない」と誓われます。これを「不東の精神」とよびます。

 玄奘三蔵の求法ぐほうの旅を、明時代に承恩しょうおんが『西遊記』として小説化すると、玄奘三蔵は架空の人物と思われるようになりましたが、1942(昭和17)年12月、中国・南京において玄奘三蔵のご頂骨(頭骨)が日本人によって発掘され、実在の人物であることが証明されます。

 ご頂骨の一部は日本へ分骨され、埼玉県さいたま市の慈恩寺に奉安されました。薬師寺は玄奘三蔵が伝えた仏法を継承する寺であることから、1980(昭和55)年11月23日に慈恩寺から薬師寺へ再分骨がなされました。

 翌年の3月25日、17歳の私は薬師寺の僧侶となるための得度式とくどしきに臨むため、東京駅から新幹線に乗りました。剃髪ていはつを終え、最後に師匠から「僧名の『奘』の一字は玄奘三蔵からいただいたものであり、これよりは玄奘三蔵の『不東の精神』に倣って、仏道修行に励みなさい」との訓示を受けました。「自分にとっての東は東京。つまり一歩たりとも実家には逃げ帰れないぞ」と覚悟を決めました。

 今年で44年目の修行です。おかげさまで多くの法話依頼をいただき、新幹線を使って東奔西走する日々となりました。薬師寺から新幹線に乗るまで小1時間。本誌巻末の時刻表を見れば分かるように、新幹線が分単位で運行されているので旅程が組みやすい上に、新型車両が導入されるたびに快適さが増す座席に座れ、よほどの遠方でない限り日帰りできます。時折こんなに楽な旅をして良いのかと、玄奘三蔵に申し訳なく思います。

 玄奘三蔵はタクラマカン砂漠を旅する途中、誤って水筒を落とし、死を覚悟せねばならぬ状況に陥ります。その時「なぜ前に進まぬ。いつまで倒れているのか」という天の声が聞こえ、気を取り直して旅を続けられたと伝記にあります。

 私は身命をして法話を勤めています。その志は決してブレることはありません。しかし、まれに疲れがまり、意気が下がることがあります。その時に聞こえる天の声があります。それは到着駅に近づくと「定刻どおりに」の言葉で始まる新幹線の車内放送です。心が弱っている時はこの車内放送が「私たちは約束どおりきっちりと前に進んでいますよ。貴方あなたはどうですか」と聞こえるのです。

 そう聞こえるたびに自分に対して「玄奘三蔵の『不東の精神』を思い出せ、前へ進め」と鼓舞することができます。

 昨今は1週間に一度は新幹線と同行二人で法話の旅をしています。そして法話の旅はこれからも続きます。

合掌

文= 大谷徹奘
イラストレーション=駿高泰子

*玄奘三蔵については『玄奘三蔵と薬師寺』(薬師寺刊)に詳しい

大谷徹奘(おおたに・てつじょう)
法相宗大本山薬師寺執事長。高校2年生で故・高田好胤〈こういん〉管長に師事。その薫陶を受けた師匠譲りのわかりやすい法話には定評がある。特に仏教の立場からの「心の在り方」を専門にしている。近著に『幸せの法則』『人生はいつだって自問自答』(ともに小学館)、『日々のことば』①~⑦(こころの学校刊)など。

著者の近刊『人生はいつだって自問自答

出典:ひととき2024年10月号

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