台北で髪を洗ってくれた台湾人女子と雲海を抜けて再会する(嘉義・奮起湖)|岩澤侑生子の行き当たりばったり台湾旅(6)
その女の子と初めて会ったのは、台湾生活のなかでも特に憂鬱な一日、修士論文の口頭試験の前日だった。順風満帆とは言えなかった大学院での研究の大きな区切りを目前に控え、少しでも楽な気持ちになりたくて美容院に入った。
席に座ると、髪を明るく染めた小柄な女の子が担当になった。髪を洗ってもらいながら、無事に卒業できたら台湾一周旅行にでるつもりだと話すと、「私の恋人の家族が奮起湖で民宿を経営していて、私もその時期にそこいるから、ぜひ泊まりにきて!」と提案された。聞き慣れない地名で、どのあたり?と聞くと、台湾の中南部にある阿里山のほうだという。シャンプーが終わり席に戻ると、モヤモヤしていた頭がはっきりしてきて、曇った目に星のような小さな光が宿り始めた。
「彼が送ってくれた阿里山珈琲です、どうぞ」
淹れたての珈琲の香気が鼻をくすぐる。珈琲は少し苦かったけれど、森林から吹く風のような爽やかさが口に残った。ふっと肩の力が抜けて、明日はきっと大丈夫だと思えた。
台中滞在中に彼女のことを思い出して、連絡を取った。急なんだけど、泊まれるかな?と聞くと、本館はもう予約で埋まっているけれど、別館にある従業員用の部屋を特別に空けてくれるという。気をつけてきてね!と、楽しそうに話す彼女の笑顔を思い出した。
* * *
ここから前回の続き。
奮起湖まで行く最終バスを逃したので「日程を変更できる?」と聞くと、明日以降はどうしても無理だという。いろいろ条件をかえて再度交通手段を検索してみると、奮起湖まで車で15分ほどの石卓というところへ行くバスはまだ出ていた。石卓まで車で迎えに行くよ、と言ってくれたので、急いで「不老夢想125号」を出て台中駅から台湾鉄道に乗り、嘉義駅へ向かった。
嘉義駅に着くと雨がパラパラ降っていた。視界の悪いなか、キャリーケースと大きな手提げかばんを引きずってバス停を探す。嘉義ではいつも必ず名物の鶏肉飯を食べる。嘉義の鶏肉飯は七面鳥を使っていてとてもジューシー。駅前には鶏肉飯のお店が並び、いつもどこに入ろうか選ぶのが楽しい。でも、次に到着する石卓行きのバスがこの日最後の便だったので、今回は泣く泣く諦める。
無事にバス停は見つけたが、定刻の時間になってもバスが来ない。少し離れたところに人が立っていたので、バスが出てしまったかどうか聞きに行こうとすると、目的地に行くバスが視界に入った。慌ててUターンした拍子にキャリーケースの上に載せていた手提げかばんがふっとび、絶叫。近くにいた人が走って取りに行ってくれた。びしょびしょに濡れながら息も絶え絶えにお礼を言って、バスに乗車する。
横にも縦にも大きく揺れる小型のマイクロバスは、市街を離れてどんどん山の中に入っていく。雨が止んだり降ったりするたびに日が暮れていく。外の景色が忙しく変化して飽きることがない。まもなく目的地に到着するころには、素晴らしい雲海が見られた。あまりにも美しすぎて、自分の子供に「雲海」と名付けたいと思った。
雲海を抜けてほどなく石卓に到着。美容院で出会った女の子とその恋人が出迎えてくれた。時刻は午後6時30分をまわったところ。挨拶もそこそこに車に乗り込む。女の子がこれから向かう奮起湖について説明してくれた。
奮起湖、といっても湖はなく、周りが山で囲まれた緑豊かな平地が広がっている。奮起湖は、阿里山森林鉄道や阿里山公路などが通る交通の要所でもある。一年を通して他の都市より気温が低く、部屋には冷房がついていないらしい。夏のシーズンは涼を求めて国内外から大勢の観光客がやってくる。
「奮起湖の魅力はなんといっても自然が豊かなところ。普通は限られた時期しか見ることができない蛍も、ここではほぼ一年中見られます」
奮起湖に着いたころには辺りはとっぷり暗くなっていた。とても静かで空気が澄んでいる。ご飯は食べた?と聞かれて、まだと答えると、この時間になるともうご飯屋さんが閉まっているから、賄いを食べていいよ、と食堂に通される。
接客を終えた従業員たちがお腹を空かせた様子で入ってきた。今が民宿の一番の書き入れ時だろう。賄いは台湾の家庭料理。シンプルな味付けで、いくらでも食べられる。自然の恵みをいっぱい受けた奮起湖の野菜は、シャキシャキしてとても甘い。
ここは民宿兼お茶屋さん。お腹も落ち着いたので、お茶の販売スペースに移動する。愛くるしいわんちゃんがいて、目を輝かせていると、はい、と飼い主が膝に載せてくれた。阿里山茶をはじめいろいろな台湾茶を飲み比べながら家族の団欒に混ぜてもらう。こんな至福のひとときが待ち受けているなんて、はるばる来て良かった。
お土産に阿里山茶と檜のオイルを購入して自分の部屋に入る。本当に冷房がないことに驚く。8月の台湾とは思えない涼しさだ。シャワーを浴びたらなかなかお湯が出なくてブルブル震えた。
着替えているとノックの音がして、ちょっと屋上に行かない?と誘われた。階段を上って屋上へ続くドアを開けると、漆黒の夜空に無数の星が瞬いていた。
周りに電灯が無いから星がはっきり見える。都会ではけして見られない、お金では買えない贅沢な時間。隣にいるのは、台北で一度だけ会った女の子。何だか不思議な気持ちになる。
夏が終わったら、また台北に戻って美容院で働くの?と聞くと、「実は、赤ちゃんができたから、しばらく彼の家族のもとでのんびり過ごします。ここは台北と比べて自然豊かで空気も綺麗だから、赤ちゃんもこの近くの病院で産みます。まだ他の家族には言っていないから、内緒にしてね」彼女はそう答えて、そのまましばらく2人で星を眺めた。
これまで台湾で多くの人との出会いがあった。その場限りだと思っていたら、思いがけないところでまた再会して、縁が深くなっていくことが多かった。夜空に浮かぶ無数の星たちが星座の線で結ばれていくように、離れ離れに生きてる誰かと繋がることから、人生の旅が始まる。
部屋に戻って、温かいお茶を飲む。明日は何するの?と聞かれて、特に何も決めていないというと、奮起湖老街と阿里山森林鉄道を案内してもらうことになった。「そうだ、台北のおすすめのご飯屋さんを紹介するよ!」と言われて、ぜひ!とスマホの画面を覗くと……。
……便所レストラン。しかもかなりリアルな便所だ。女の子はゲラゲラ笑っている。満点の星空を見たあとのギャップがすごい。赤ちゃんが無事に産まれて台北でまた再会することになったとき、ここに行こうと言われたらどうしよう……と不安になった。
>>>次回へ続く
文・写真=岩澤侑生子
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