今、京都で最も注目される華道家元・笹岡隆甫さんに訊く 五輪トーチに花を生けた理由
連載「花の道しるべ」を執筆していただいている笹岡隆甫さんの華道・未生流笹岡三代家元継承10周年を記念した「いけばな展」が今月3日に青蓮院門跡(京都市東山区)で開かれ、会場には一門の約170人による色とりどりの作品が並びました。 華道とこれまでの10年についてインタビューしました。
――「いけばな展」は大変盛況でした。会場で周囲の方から、いけばなが花嫁修業のひとつという時代ではない中で、未生流笹岡は今勢いがある流派なのではというお話を伺いました。そもそも、華道にはどのくらいの流派があるのでしょうか。
華道には300以上の流派があります。最も歴史の古い池坊をはじめ、草月流、小原流の三大流派があり、江戸時代中期以降に生まれた遠州流、古流、未生流は様々な分派を生み、今も続いている流派です。
――未生流笹岡は、どのように生まれたのでしょうか。
大正8(1919)年に曽祖父の竹甫が創流しました。当時は西洋の園芸植物を用いた新しい型「盛花」が流行しはじめていましたが、竹甫は古典の技法を活かした、未生流の特色である鱗形(直角二等辺三角形)を踏襲した新しい盛花を考え出し、一派を立てました。今回の展示された作品にも、直角二等辺三角形が隠されています。
――笹岡さんが2016年に「新景色花」という新たな型を考案された背景、意図について教えてください。
祖父より、新しい型を考えなさいと言われてきました。普段の稽古では、繰り返し古典の型を学びます。しかし、古典の型に収まらないけれど、おもしろい枝ぶりの花材に出会うことがあります。そのような味のある自然の枝をいかした新たな型として「新景色花」を考案しました。真行草*で例えるなら、古典の型がかしこまった「真」だとすると、新景色花は自由な「草」の型と言えます。
真行草* 書道の真書(楷書)、それをくずした行書、さらにくずした草書のの総称。そこから、茶道・華道などでも格式の概念としてこの真行草が用いられる
――会場となった青蓮院門跡(東山粟田口)の壁画や襖絵と、今回出品された花々が見事に調和しているように思えました。お寺とのお付き合いは長いのでしょうか。
青蓮院門跡では、家元を継承した翌年から毎年いけばな展を開かせていただいています。いけばなともゆかりのある格式高い門跡寺院*で花展を開催できることを、大変嬉しく思っています。
門跡寺院* 古くから皇室とかかわりのある格式高い寺院
――会場にパネルも展示されていましたが、これまでの10年、伊勢志摩サミットや、京都フィレンツェ姉妹都市提携50周年記念に宮殿で装花されるなど、様々な場でご活躍されてきました。笹岡さんの代になってから、舞台上など、大振りな作品が増えたといった話をお聞きしましたが、大学、大学院で学ばれた建築学はいけばな作品にどのように生かされているとお考えでしょうか。
いけばなは建築空間を装飾する役割を担って生まれてきました。もちろん展示会場でご覧いただく花も美しいですが、歴史的な建築の中でご覧いただく花は、違った趣があります。また、そこに花があることで建築の見え方も変わってきます。建築といけばなの掛け算により、新たな美を生み出したいと考えています。
当日展示されたパネル。フィレンツェの宮殿での装花に携わった
――東京五輪の聖火リレーでは京都府の最終ランナーを務められ、今回の家元作品は、聖火のトーチを花器に見立てたそうですが、色彩も鮮やかでとてもインパクトがありました。2つの作品に込めた思いを教えてください。
手前の作品は、曲木造形作家の亘章吾さんによる吉野檜の花器にウメモドキを挿したものです。もう一つのトーチの方は、赤紫のアマランサスに、ピンクと白のコスモスを添えています。
聖火リレーで、「つなぐ」ということの大切さを改めて感じました。家元を継承した2011年は東日本大震災が起きるなど、大変な年でした。そして今も、新型コロナウィルスの影響で困難な状況が続いています。どんな状況であっても、文化、希望をつないでいく、という思いを込めて花を生けました。
――ありがとうございました。
来場者が作品と一緒に撮影できるスポット
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