世界唯一の水族館とユニークな深海生物(静岡県沼津市)|ホンタビ! 文=川内有緒
その生き物を一言で表す形容詞がある。「キモカワイイ」。
言わずもがな、「キモチわるい」と「かわいい」を掛け合わせた言葉である。相反する2つの単語が同時に似合うというその生物とは……じゃじゃじゃん! 答えはオオグソクムシ。
体長は10〜15センチほどで、体はほんのりピンクがかった薄茶色の殻で覆われている。フォルムはダンゴムシそのものだが、サイズはその10倍ときているものだから、なんだか簡単にはその存在を受け入れ難い。
近年、このキモカワ生物が静かなブームになっていると耳にする。今月とりあげる本では、人気の秘密はカッコよさではないかと分析されていた。
正面から見ると、某高級外車のフロントマスクとよく似ていると感じるのは私だけだろうか。
このカッコよさに加え、深海生物特有のグネグネしたグロテスク感、ベタベタした粘着感がなく、その鎧のような硬い表面ならばむしろ触ってみたい、と思わせる点も、女性や子供の人気を誘う理由であろう。
えっ、じゃあ、キモカワイイと同時にカッコいいの? どういうこと? これはもう実物を確かめにいくしかないっ。と向かったのは、世界唯一の深海生物に特化した沼津港深海水族館である。そうだ、言い忘れていたが、オオグソクムシは深海の生き物なのだ。
水族館に入ると、照明をおとした館内に、いるわ、いるわ、ユニークな生き物たち! 成長すると7メートルにもなる巨大なメガマウスザメ。体のほとんどが顔にしか見えないメンダコ。3億5000万年前からほとんど姿を変えていないシーラカンスの剥製も。
そんな深海生物のスター選手たちが押し合いへし合い状態なので、あちこちから「わあ、おもしろーい」「こっち見て、見て!」という声が聞こえてくる。
そんな一角の小さな水槽に……おっ、いたいた! ピンク色の生物がもぞもぞ、ざわざわと蠢いている。一瞬、巨大フナムシっぽくも見え、ひゃあ、無理かも、と思ったが、その動きはもこもことしていて愛らしい。うん、ちょっとカワイイかも……。
あれれ、このアンビバレントな感覚が例の「キモカワイイ」の正体なのかも!?
じっくりと観察していくと、その生態はさらに謎めいている。なんと1匹が背泳ぎで泳ぎはじめた。体を反転させて背中を下に向けたかと思うと、胸のあたりに生えた無数の足を不器用なほどバタバタさせる。おお! その意表を突いた動きは目が離せない。
ちょうどそのとき飼育員の増島恵良さんがやってきたので、「どうしてオオグソクムシは背泳ぎをするんでしょうか!」と意気込んで質問する。
「腹部にあるのは遊泳脚ですね。でも、どうして背泳ぎなのかと聞かれると……いやあ、そこまではわからないですね」と微笑んだ。深海の生き物はまだ未知でいっぱいなのである。
水槽には魚の骨が入っていたので、「あれは餌ですか?」と尋ねた。
「オオグソクムシは、腐肉食性ということは分かっているので、水族館では鯖の切り身をあげています。深海生物は嗅覚が発達していることが多いので、においが強いものに反応しやすいですね」
「1日に何回食べるんですか?」
「深海はもともと餌が少ないので、毎日食べなくても大丈夫です。オオグソクムシの場合は1週間に1度の餌で十分です」
ふむふむ、体が大きいわりに少食らしい。
「さらにダイオウグソクムシのほうは、月に1度しか餌をあげなくても大丈夫なんですよ」とのこと。
こちらは、“ダイオウ”の名の通り体長40センチ以上の巨大なグソクムシ。この水族館では剥製が展示されているのだが、あまりのジャイアントサイズに、このまま進化していけばいつか漫画「風の谷のナウシカ」の王蟲になりそうな予感がビリビリと走った。
「他の水族館の話ですが、5年間何も食べずに生きていたという記録もあります」
そこでは、飼育員があの手この手で餌を食べさせようとしたものの、その全てを拒否しつつ、5年以上も生きていたらしい。やだやだ、私は人間になんてなつかないぞ! と思ったのかもしれない。
いやあ、オオグソクムシの世界って面白いなあ、もっと知りたい!
そう思ったみなさんのために、前述の本を紹介したい。タイトルはストレートに『オオグソクムシの本』。帯には、「読後にきっと『オオグソクムシが大好きだ』と叫びたくなる」とある通り、オオグソクムシ愛が炸裂している。著者はオオグソクムシ研究の第一人者、森山徹さん。もちろん愛だけではなく、その謎めいた生態が学術的観点から細かく描かれている。
ぜひ沼津観光のお供にどうぞ!
それにしてもなぜ沼津に深海水族館なのか、と不思議に感じる人もいるだろう。それは駿河湾の特殊な地形と深い関係がある。なんと駿河湾は、海岸から2キロ地点で水深500メートルに達する。さらに水深2500メートルにも及ぶ駿河トラフ*には多くの深海生物が住んでいるのだ。
そして、沼津といえば、底引き網漁で有名である。港の近くのパノラマ展望台「びゅうお」に上ってみれば、港に出入りする漁船を数多く眺めることができる。もしかしたらいくつかの船は、偶然にも底引き網に引っかかった深海生物を乗せているかもしれない。
以前は偶然陸揚げされた深海生物の多くが捨てられる運命にあったが、今は港近くにあるこの水族館に連絡が入り、すぐに搬送される。漁師さんたちとの連携のおかげで、時として全く新種の生物が水族館に持ち込まれることもあるそうだ。
「そういう時は図鑑や資料と格闘しながら種類を特定して、飼育方法を見つけていきます」(増島さん)
こうして、飼育員さんたちの努力の末に生き延びた深海生物たちのパラダイスが沼津港深海水族館なのだ。
「深海」という神秘に触れたあとは、この地域のもうひとつの神秘スポット、「神池」にも寄ってみた。
神池は、駿河湾に向かって細長く突き出た大瀬崎の先端にある直径100メートルほどの淡水池。水深は1メートルほどと浅いが、そこにはたくさんの鯉が泳いでいる。
三方を深い海にぐるりと囲まれた小さな池。淡水と鯉はいったいどこから来たのか。その「伊豆七不思議」はいまもって解明されていないというのだから最高じゃないか。
世界はまだ「神秘」で満ち溢れている。
文=川内有緒 写真=佐藤佳穂
川内有緒(かわうち ありお)
ノンフィクション作家。米国企業、パリの国連機関などに勤務後、フリーの作家に。『バウルを探して』(幻冬舎)、『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』(集英社インターナショナル)など著書多数。
出典:ひととき2022年3月号
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