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[最終回]明日への69センチ|文=北阪昌人

音をテーマに歴史的、運命的な一瞬を切り取る短編小説。第24回は、定年を前にしたサラリーマンが人生のまとめを考えていた時、ある音をきっかけにふるさと、千葉県佐原の偉人・伊能忠敬ただたかを思い出します。前向きな気持ちになれる最終回です。(ひととき2024年9月号「あの日の音」より)

 金曜日、午後6時の新大阪駅は、混みあっていた。お土産を買う若い旅行客。新幹線の中で食べるお弁当を真剣に選ぶビジネスパーソン。行き交う人たちには、週末を迎えられる安堵の表情がうかがえる。

 日帰りの大阪出張。お得意先の会社に直行して、すぐに帰る。このまま東京に帰るのは、なんだかもったいないような気がしてきた。せめて、少しでも大阪らしいことをしたくて、駅構内のお好み焼き店に入る。

 そういえば、今日は誕生日だった。55歳。急に「定年」という二文字が現実味を帯びてきた。残りのサラリーマン人生をどうまとめるか。役員にはなれそうもない。おそらく本部長止まりだろう。再雇用で65歳まで……。子会社に行くか、あるいは……。とそこで、急に音が耳に飛び込んできた。

 ジャージャー。

 鉄板に生地を流し込む音。

 その音を聴いていたら、ふるさと、千葉県の佐原を思い出した。生まれてから18歳まで過ごした「北総の小江戸」と呼ばれる水郷の街。

 佐原には、通称「ジャージャー橋」という名所がある。小野川にかかる樋橋とよはし。もとは江戸時代の前期につくられた佐原村用水を、小野川の東岸から対岸の水田に送るための大樋だったそうだ。300年近く使われ、橋の下側につけられた大樋おおどいを流れる水が、30分ごとに小野川にあふれ落ちて、「ジャージャー」と音を立てる。

 この音を聴くと、必ず、思い出す偉人がいる。

伊能忠敬。橋のすぐ近くに彼の旧宅がある。実測で、初めての日本地図完成に命を賭けた地元のレジェンドだ。ん? 伊能忠敬? 彼が最初の測量に出かけたのは、確か……。私は、スマホで調べる。やっぱりそうだった。55歳。彼は、天明の大飢饉から佐原町民を救った名主でありながら、一念発起。20歳近くも年下の天文学者・高橋至時よしときこうべを垂れ、暦、測量、天文の勉強を始めた。当時は、50歳くらいが寿命といわれていたにもかかわらず、55歳から新しい人生を切り開いた人である。

 彼は、一歩を69センチとして、歩測で日本中を測った。一歩、一歩、文字通り地道に進む。地図の完成を待たず、夢は弟子たちに引き継がれ、ちゃんと日本地図は完成した。

 ジャージャー。

 鉄板の音を聴いていたら、なんだか、川に落ちる水の粒に思いをせた。無数の飛沫、一粒一粒は、たいした音にはならないけれど、多く集まれば、やがて、ジャージャーと大きく空気を震わせる。

 55歳。まだまだじゃないか。サラリーマン人生のまとめ? 冗談じゃない。人生にまとめなど、必要ない。たとえ旅半ばで果ててもいいじゃないか。

 ジャージャー。

 再び、鉄板に勢いよく生地が流し込まれた。その音が背中を押してくれる。伊能さん、私も、頑張って歩いてみます。たった69センチの一歩かもしれませんが。もう一度、自分がやりたかったことを見つめ直し、前に進んでみます。

 私はなぜか、笑顔になっていた。

*この物語はフィクションです。

出典:ひととき2024年9月号

北阪昌人(きたさか まさと)
1963年、大阪府生まれ。脚本家・作家。「NISSAN あ、安部礼司」(TOKYO FMほか38局ネット)などラジオドラマの脚本多数。著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)など。

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