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森の駄菓子屋の奇跡──横浜市鶴見区・らいおん商店〈後編〉|駄菓子屋今昔ものがたり
前編では、レゲエの本場ジャマイカに渡り、そこで目撃したミュージシャンを育てる仕組みを日本にも根付かせるべく、森の外れにスタジオを設立した手倉森康友さんの活躍を伝えました。後編では、なぜ駄菓子屋を開こうと思ったのか、胸に秘めたその想いに迫ります。そして、思いがけず舞い降りた「天からの贈り物」とは──。
>>>前編はこちら
突然のコロナの流行によって、テグさんの音楽活動もクラブの営業も、一切合切が停止してしまった。
いや、停止したのではない、停止させられたのだ。感染を予防するのは大切なことには違いなかったが、テグさんには、あの、生活のすべてをコントロールされてしまったような状況が耐えられなかった。
「俺には、人間の心とか文化を次の世代につないでいきたいっていう思いがあるんですが、コロナで人間としての歩みを止められて、死生観すら変えられるところまで追い込まれて、このままじゃ、この国は終わるなと思ったんです。効果もよくわからないのに、上から言われたからって子どもにマスクをさせて、外出まで禁止して……。本当に、子どもにこんなことさせていいのかなって。100歩譲ってマスクや消毒は仕方ないにしても、子どもが行ける場所がどこにもないなんて、絶対におかしいじゃないですか」
ダブを録ることに夢中になっているうちに、ふと気づけば、この国では経済格差が急激に拡大して、富める者と貧しい者、若い者と老いた者の分断が進んでいた。
のどかな住宅街だった獅子ヶ谷周辺にも環状2号線沿いに巨大なショッピングセンターができ、大型マンションのような老人ホームが次々と建設されていた。
「おじいちゃんおばあちゃんがやってる個人商店がどんどん潰れていって、子どもが行く場所がどんどんなくなっていくのを見ると、つくづくセンスのない世の中になったなと思うんです。目に見えないものに操られたくなかったら、末端の俺らは、身近なところから変えていくしかないんだけど、子どもにいきなりレゲエは伝わらない。だから、駄菓子屋を作ろうと思ったんです。子どもと大人が言葉を通して触れ合える場、子どもが自分の頭で考えられるようになる場を作ろうって」
2021年7月、コロナの終息がまだまだ見通せなかったこの時期に、テグさんは友人の佐々木学さんとともに、らいおん商店を立ち上げた。
手先の器用な佐々木さんが什器を手作りし、口八丁手八丁のテグさんが店頭に立った。言葉の通じないジャマイカで暮らした経験、失敗を失敗と思わずにトライし続けるジャマイカンの気質が、テグさんに「何でもできる」という意識を持たせてくれた。テグさんと佐々木さんのバイブスは、MAXまで上がっていた。
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オープンからしばらくの間、らいおん商店は異様とも言える繁盛を極めた。一個が10円、20円の駄菓子の世界では、1000円売り上げても儲けは300円ほどにしかならない。しかしこの時期、らいおん商店の前にはマスクをつけた子どもたちが連日列をなし、月の売り上げは数十万円を突破したのである。
紙袋とおまけ
らいおん商店の立ち上げに際して、テグさんが心を砕いたことが三つあった。
ひとつは紙袋である。
らいおん商店では駄菓子をビニールのレジ袋ではなく、紙袋に入れて渡してくれる。そして、紙袋にはとなりのトトロのイラストと「ありがとう」の言葉が刻まれたハンコが押してある。ありがとうは、子どもに対するテグさん流のリスペクトだ。
「俺、袋までが商品だと思っているんです。子どもが自分で選んだ大切なものを入れる袋だから、わざわざ紙袋にして、そこにこちらの気持ちを添えている。それが『ありがとう』のハンコなんです。俺、まだしゃべれない子にもありがとうって声をかけるんだけど、マニュアル通りにありがとうございましたって言って、ビニール袋で商品を渡すのとは、絶対に違うものが伝わると思うんです。そういう、お客さんに対するリスペクトを散りばめた店にしたかったんです」
もうひとつは、オマケだ。
らいおん商店では支払いを済ませると、必ず紙袋にアメをひとつ入れてくれる。ミソは、親が付き添っていれば親の分も入れることだ。
「オマケは、できれば帰り道に一緒に食べてほしいんです。そうすれば味の共有ができるじゃないですか。いつか、『そうそう、オマケのアメを一緒に食べたね。懐かしいね』なんてフラッシュバックをさせたい。この店で生まれたドラマの続編を仕込みたいんですよ。そしてオマケは、親御さんに対する俺からの愛でもあるんです。親って、子どもと遊びに出かけても、お金を払うだけで感謝されないじゃないですか。子どもにオマケを渡す店はあるけれど、親へのリスペクトってないんです。だから親にもオマケを渡して、ちょっと日頃の疲れを癒してもらいたい。そうしたらバイブスがいい方向に流れ出して、いろんな形でいい循環を生んでいくと思うんです」
最後は、値段である。
らいおん商店の駄菓子の値段はすべて10円単位である。
「もちろん、子どもに自力で計算してもらうためでもあるんですが、昔は消費税ってなかったじゃないですか。なのに消費税を取る世の中になってしまった。それはなぜなのかを、子どもたちが考えるきっかけにしてほしい。なんで消費税が必要なのか、なんで物価が上がるのか、なんで格差が広がるのか、それを自分の頭で考えることのできる子を育てないとダメだと思うんです」
テグさんは、お店に来る子どもひとりひとりに声をかける。駄菓子屋は駄菓子を媒介として、子どもと大人が言葉をやり取りする場でもある。
「お金だけのやり取りで、人間性なんて育まれると思いますか? 親の言葉は忘れちゃっても、きっと駄菓子屋のおっちゃんのひと言って忘れない。だから俺、ひとりひとりの子どもに話しかけるんです。そうやって会話を芽生えさせるのが一番いいのかなって。これは、子どもたちに対する、俺なりの愛の投げようなんです」
天からの贈り物
テグさんの熱弁に聞き入るうちに、すっかり日が暮れてしまった。
店内のぼんぼりに灯りが点って、たしかにここには、温かい愛を湛えたバイブスが満ちているような気がしてくる。筆者がここを訪れたのも、きっとレゲエの神様によるガイダンスなのだろう。
そんな気分になってきた時、テグさんが「天からの贈り物」が間もなくやってくると言いだした。
「らいおん商店を始めて3年半になりますけど、中一からうちに通っていた子が高校に入って、うちでアルバイトをしたいと言ってきたんです。最初はバイトを雇うような業態じゃないよって断ったんですが、あれっ、もしかしたらそういう時期なのかなと思い直して、いまバイトをしてもらってるんです。その子がちょうど5時に来るんですよ」
やがて、店舗の奥に人影が現れた。テグさんはいったん奥に引っ込むと、ひとりのひょろりと背の高い青年を連れて戻ってきた。
「取材、オッケーだそうなんで」
図らずも、元お客さんでいまは店員という貴重な人物にインタビューできることになった。
名前は佐藤奏さんという。中学一年生のとき、らいおん商店の近所に越してきたという。
「散歩をしていて、ここ何だろうと思ってちらっと覗いたらすごくステキな空間で、ちょうど子どもがお父さんお母さんと楽しそうにお菓子を選んでいて、テグさんが明るく接客してて、それを見てからもうどハマリですよ」
実は奏さん、両親から駄菓子屋の思い出話は聞いたことがあったものの、本物の駄菓子屋を見たことはなかったというのだ。いまや駄菓子は、スーパーやドラッグストアで売っているものなのだ。
らいおん商店のいったい何が、そんなに心に響いたのだろう。
「オマケと紙袋です」
なんと、テグさんの狙いはどんぴしゃりだった。
「ああ、このお店はオマケをくれるんだ、すごいなと思いました。それに、普通はビニール袋でしょう。紙袋に入れてくれるなんて初めてで、こんな細かいところまでステキだなと思って、また行きたくなってしまったんです」
奏さんの言葉を聞きながら、テグさんがちょっと涙ぐんでいる。テグさんの思いはしっかりと伝わっていたのである。
いきなり「どハマリ」して以来、奏さんはらいおん商店の常連客になったわけだが、一介の常連客がバイトを希望するというのは、かなりの飛躍だが……。
「実は、高校に入ってから、ある飲食店でバイトを始めたんです」
奏さんは誰でも知っているチェーン店の名前を口にした。そこの仕事は奏さんには辛かったというのだが、必ずしも肉体的に辛かったわけではないという。
「がーってお客さんが入ってきて、わーって料理を出して、忙しくて忙しくて、人とかかわるような雰囲気じゃなかったんです」
人とかかわる?
「はい。自分はゆったりまったり人とかかわる仕事がしたかったんです。でも、そういう仕事ではありませんでした」
軽い衝撃を受けた。
他者とのやり取りを専らSNS経由で行う現代の高校生たちは、なるべく人とかかわりたくないのだろうと思っていた。かかわるどころか、なるべく会話もしたくないのではないか。そう思い込んでいた。
「自分は、LINEとか苦手なんです。もちろんLINEが好きな子もいますけれど、LINEは感情が伝わりにくいから怖いんです。話をするなら直接がいいと思います」
筆者は現代の若者に対して偏見を持っていたことが、少し恥ずかしかった。もしかすると分断とは、こうした偏見の積み重ねによって拡大していくのかもしれない。そして、偏見を打ち砕かれるために、筆者はいま奏さんと出会っているのかもしれなかった。
ガイダンス!
飲食チェーン店の仕事に馴染めなかった奏さんの脳裏に、「らいおん商店」の6文字が浮かんだ。奏さんはどこまでも丁寧で優しい話し方をするのだが、らいおん商店へのアプローチはアグレッシブだった。
「ゆったりまったり人とかかわりたいと思ったら、あっ、らいおん商店があるって思ったんです。らいおん商店は楽しいし、かっこいい。あの店で働きたいなって……」
テグさんが、奏さんの言葉を引き取った。
「俺、3年半駄菓子屋をやってきて、奏がバイトをしたいって言ってきてくれた時、ああ、『お前がやってきたことは間違っていない、このままでいいんだよ』って神様から言われた気がしたんです。こんな子が育ってくれてるんだから。だから奏は、天からの贈り物なんですよ」
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テグさんと奏さんはふたりで店番をしながら、さまざまなことを語り合うという。振り返ってみれば、親以外の大人とじっくり話す機会なんて、筆者の子ども時代にもほとんどなかった。
「将来どんな職業に就くかは分かりませんが、こうしてこうしてって、毎日マニュアル通りのことをやるんじゃなくて、本当の自分として人とかかわっていける仕事がやりたいんです。テグさんみたいに」
「俺、泣いちゃうよ」
「僕、らいおん商店が、このままの雰囲気で大きくなる夢を見たんですよ」
ひょっとすると、獅子ヶ谷の深い森の片隅にある小さな駄菓子屋の中で、いま、偉大な変化が兆しているのかもしれなかった。
らいおん商店で受け取ったものを、やがてたくさんの子どもたちが世の中に伝えていくことになるだろう。
取材・文・写真=山田清機
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● らいおん商店
神奈川県横浜市鶴見区獅子ケ谷3丁目20−27
営業時間:13時〜17時頃
営業日:土曜日、日曜日
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