台湾最果ての地・屏東でたどり着いた幻想的な世界|一青妙(作家・女優)
ジャングルに迷い込んだのだろうか。そう錯覚させるほど、目の前には、奇妙な樹形が果てしなく広がっていた。
私がいるのは、台湾南部の屏東県・港口にある「港口白榕園」。
白榕と現地で呼ばれるベンジャミンという植物の気根は、曲がりくねり、枝分かれし、毛細血管のように地面を這いつくばっている。彼らは栄養を大地から吸収して太く成長していく。今にも歌やダンスを踊り出しそうな勢いで、まるで宮崎駿の世界のようだ。
高いところまで伸びて絡み合った気根は、大きなゆりかごのように見え、そこでユラユラとお昼寝をしたくなる。丸味のある葉や気根の隙間からキラキラと降り注ぐ日の光りが心地よい。
読者の皆さんは、映画『ライフ・オブ・パイ〜トラと漂流した227日〜』を覚えているだろうか。2012年に公開された作品で、台湾を代表する映画監督のアン・リー(李安)は、本作でアカデミー監督賞を受賞した。
主人公は16才の少年・パイ。乗っていた船が沈没し、虎と共に救命ボートで太平洋を漂流しながら奇跡の生還を果たす物語だ。クライマックスで、パイが命からがらたどり着いたベンジャミンに覆い尽くされている無人島が、私が立っている場所——港口白榕園だった。
港口白榕園とは偶然の出会いだった。
台湾人の父を持つ私にとって、台湾はもうひとつの故郷だ。かつて、オランダやスペインが上陸し、清朝時代から日本統治時代の50年を経て、現在の台湾がある。九州ほどの大きさしかない島国には、豊かな自然や歴史的遺構が多く残されており、興味が尽きない。
日本統治時代と何か関係のあるものを探そうと、レンタカーで屏東を走り回っていた。温泉、古道、神社などを巡り、満州郷の港口村という小さな村を通った。喉が渇いたところで、タイミングよく視界に飛び込んできたのが道端の「港口茶」と書かれた大きな立て看板だった。
お茶が大好きな私は、初めて見る名前に惹かれて店を訪ねた。レンガ造りの作業小屋は歴史を感じさせ、店内の棚にはいくつもの茶缶が並べられていたが、種類は「港口茶」のみ。
店主の朱金成さんが、茶杯を差し出してくれた。お茶は無発酵のため、茶褐色ではなく、澄んだ黄緑色をしていた。
港口茶は台湾の最南端というだけでなく、最も標高の低い場所で産出される茶葉だった。約200年前に、福建省から持ち込まれた武夷茶(青茶)を、朱さんの先祖が栽培し始めた。屏東の南部は恒春半島と呼ばれ、年に10回も茶葉を採集できるほど、常に春のような天候に恵まれている。目の前には太平洋が広がっており、海風の塩分とたっぷりの日差しを浴びた茶葉は肉厚で、一口飲めば苦味が強く、野趣味にあふれていた。悪くない。
お茶を飲みながら世間話に花が咲いたなかで、朱さんはこんな話をしてくれた。
「そういえば、うちの茶畑には日本時代に作られた植物園への入り口があるよ。その一部は、ほら、あの有名な少年とトラが出てくる映画のロケ地になったんだよ。あのときは役者さんやカメラマンがたくさんきて、みんな頑張っていたよ」
それが港口白榕園のことだった。
インドやジャワ、マニラ、オーストラリアなどの諸外国から種苗を輸入し、繁殖を行い、実用的なものを本島の日本に提供することを目的とし、1908年に台湾初の植物園「恒春熱帯植物殖育場 第一号母樹園」が誕生した。一方で、ベンジャミンは植物園ができるずっと前から自生していたもので、長い時間をかけ、たった一本のベンジャミンの樹の無数の気根が広がり、約3000平方メートルもの面積を持つ港口白榕園になったのだという。
現在、植物園は林業試験所が管轄し、主に教育研究目的の入園しかできず、一般開放されていない。そんなところに入っていいのかと思ったが、朱さんは「ここに暮らしている人は普通に歩いているよ」と笑い飛ばした。
茶畑の横にある道を進んだ。茶畑まで引かれている黒い水道管を目印にすれば迷子にならない。15分も歩くと、雰囲気が変わり、気根が現れた。
映画に出てきたトラやミーアキャットがひょっこり顔を出しそうだ。夜になれば、星空が綺麗に違いない。茶畑からわずかな距離しか離れていないというのに、映画で見た幻想的な風景がそのまま存在していた。
旅の醍醐味は人との出会い。人との出会いから新たな発見がある。そんな旅の本質を改めて実感させてもらった。
日本に持ち帰った港口茶の茶葉に湯を注ぎ、飲んでみた。朱さんが入れてくれたときと同じ黄緑色だけれども、苦味はあまり感じられなかった。何度淹れても、あの空間で飲んだ味を再現することができないままでいる。
港口が気になる。その土地の持つ空気と湿度、そして物語に囲まれた味と景色が忘れられない。もう一度訪れる格好の言い訳ができた。
文・写真=一青妙
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