【伊勢根付】神宮の加護を願った土産物(三重県伊勢市)
無事にカエレますように──。
江戸時代、お伊勢参りの土産として人気だった根付。年間に何十万人もの庶民が全国から伊勢神宮を目指して旅をするようになったその頃でも、道中は険しく、追い剥ぎなど危険もあった。だから職人たちは旅の安全を祈って根付にカエルを彫ったのだという。七福神や十二支などの縁起ものも。
根付とは、煙草入れなどの小物と紐で結び、帯に挟んで携帯するための留め具。この目立たない実用品に、限りない楽しみが広がる。
身につけるものだから小さく、そして帯や手を傷つけないように丸く、滑らかに。その制約のなかで職人たちは、「無事にカエル」などの洒落、持つひとを楽しませるユーモアにからくり、謎かけ、頓智といった遊び心やウィットを、掌におさまる彫刻にふんだんに詰め込んできた。根付の素材はさまざまだが、伊勢根付では市内の朝熊山に自生するツゲを使う。
「彫り方は独学。仲間と励まし合いながら、切磋琢磨したよ」とは現代の職人、中川忠峰さん。伊勢根付彫刻館の館長も務める。
明治の開国後、根付は欧米人にその芸術性を高く評価され、優品がほぼ全て外国へ流出してしまった。いまの日本では根付という言葉すら知らないひとが多いのに、海外の名だたる博物館は充実したコレクションを展示している。
「知れば知るほど、このすばらしい文化を未来に伝えなければならないと強く思いました」
若手根付職人の梶浦明日香さんが目を輝かせる。NHKアナウンサーとして伊勢根付を取材したのをきっかけにその魅力に惹かれ、12年前、中川さんに弟子入りした。持つひとを想ってつくられる根付は、つくるひとの思いや人柄も映すのだと梶浦さんはいう。
「師匠の作品は大らかで優しく、見ると笑顔になれるんです。私もそんな作品をつくりたい」
掌のなかで根付は、心の温かさも次の世代に伝えている。
文=瀬戸内みなみ 写真=佐々木実佳
出典:ひととき2024年2月号
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