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ゴッホと渦潮|文=北阪昌人
音をテーマに、歴史的、運命的な一瞬を切り取る短編小説。第18回は、ある企業の宣伝部長が、広告会社によるプレゼンテーションの場で見たゴッホの絵画から連想した、鳴門の渦潮の音です。故郷の鳴門で、血のつながらない母と渦潮を見に行った時のことを思い出します。(ひととき2023年9月号「あの日の音」より)
宣伝部の会議室では、広告会社によるプレゼンテーションが行われていた。
「今回の新しいレトルトカレーのコンセプトである〝家族の団欒〟〝ぐつぐつ丁寧に煮込んだ〟の2つを合わせたデザインのご提案ですが、参考にしたのは、これです」
暗い室内に、映し出されたのは、一枚の絵画。糸杉と、夜空に浮かぶ無数の渦巻き。
「フィンセント・ファン・ゴッホが36歳のときに描いたと言われている「星月夜」という作品です。ゴッホは、星を、ものすごく大きな渦巻きとして、描いたんですねえ、まるで希望のように。私は、この作品が大好きで、今回のキービジュアルを考えたとき、真っ先に思い出しました。ゴッホが生涯求めた家族の団欒と、希望の象徴にも見える渦巻きを、ぐつぐつ煮込む鍋で表現しました。ゴッホを、私がデザインすると、こうなります!」
オシャレな黒縁メガネをかけたデザイナーは、自信ありげに、キービジュアルを見せた。
「宣伝部長、いかがですか?」
みんなが私を見る。
「そうだな……うん、青と黄色のバランスもいいし、確かにインパクトはあるが……うん、ちょっと、暗くないかな」
言いながら、私の脳内には、音が響いていた。
ゴォーゴォーゴォー! それは、そう、渦潮の音。故郷、鳴門の渦潮……。
会議が終わり、室内が明るくなった。私は、席を立たなかった。それを、ある種の不服、不満と感じたのか、宣伝部員たちが、気をつかうのがわかった。
でも、私が立てなかったのは、あのときの音を思い出したからだった。
高校まで、鳴門で過ごした。推薦で大阪の大学に進むことが決まった。9月の終わりか、10月の頭、だったろうか。母に「渦潮を見に行かないか」と誘われた。
秋は、渦潮の見ごろ。でも、こんなに近くにいながら、私は一度も船から渦潮を見たことがなかった。
母は父の後妻。私とは血がつながっていない。それもあってか、お互い、なんとなく遠慮しながら、一定の距離を保ち暮らしてきた。
船の上で渦潮を見ながら、母は私に事細かに注意した。食事はちゃんととりなさい、大学にはきちんと通いなさい、ギャンブル、お酒におぼれぬよう……等々。
私は、キレてしまった。
「ごちゃごちゃやかましいんじゃ!」初めてだった。母にそんな口をきいたのは。母も「やかましいってなんなん!」と怒った。ゴォーゴォーゴォー! 渦潮の音が響く。
今、思うと、あれは母への初めての甘えだった。2つの潮流が遠慮を捨て、ぶつかった。あのとき、初めて、親子になれたのかもしれない。
いま母に、「一緒に渦潮を見に行こう」と言ったら、なんと言うだろう……。私は、さっそくメールを打ってみた。ゴォーゴォーゴォー。脳内に響く渦潮の音が優しくなった。母から返事が来た。たったひとこと「ええなあ」。
文・絵=北阪昌人
北阪昌人(きたさか まさと)
1963年、大阪府生まれ。脚本家・作家。「NISSAN あ、安部礼司」(TOKYO FMほか38局ネット)などラジオドラマの脚本多数。著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)など。
※この物語はフィクションです。次回は2023年11月号に掲載の予定です
出典:ひととき2023年9月号
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