見出し画像

風とともに旅する浜松 (静岡県浜松市)|ホンタビ! 文=川内有緒

作家の川内有緒さんが、本に動かされて旅へ出る連載「ホンタビ!」。登場人物を思うのか、著者について考えるのか、それとも誰かに会ったり、何か食べたり、遊んだり? さて、今月はどこに行こう。本を旅する、本で旅する。

 30年も前のことだが、風に意思があるのかを研究しているという風変わりな男性に出会った。大学院で哲学を専攻していて、穏やかな佇まい。英語教師でもある彼は、「クラウド・ナイン」という英語表現を教えてくれた。直訳すれば「9番目の雲」で、圧倒的に幸せな時の感情表現である。

 それから25年後、偶然入った本屋さんで『窓から見える世界の風』という一冊を見つけた。著者は福島あずささん。モンスーンなど気象現象の研究者である。

[今月の本]
福島あずさ著/nakaban絵
窓から見える世界の風(創元社)
気象学者である著者が、インドの局地風「エレファンタ」や地中海沿岸部に吹く「トラモンターナ」など世界の50の風を、画家・nakabanの絵とともに紹介・解説する一冊。恵みの雨をもたらす風もあれば、人間にとって脅威となる風もある。それぞれの風が持つ土地との結びつきを感じながら、旅するようにページをめくりたい 
*本文中太字の箇所が本書からの引用です

 皆さんは「風」にどのようなイメージを持ちますか? 空の雲は、その形をはっきりと見ることができますし、降ってきた雨には触れることができます。それでは、吹いている風を手でつかんだり、目で見たことのある方はいるでしょうか? そう、風は目に見えず、手に取ることもできません。けれども、私たちは風の存在を知っています。

 この本は世界各地の季節風や局地風を紹介している。例えば「レヴァンテ」(地中海のジブラルタル海峡に吹く東風)や「サンタ・アナ」(南カリフォルニアに吹く強い北東風、別名悪魔の風)など。それぞれの風が吹く窓辺を描いたイラストが実に美しい。

 私はこの本が好きでたまらない。ページをめくるたびに、ジャマイカやインドネシアなど遠くに旅をしている気持ちになる。長い前置きになってしまったけれど、今回は「風」を感じる旅に出た。
           
 浜松は、冬の間に吹く強い北西風「遠州からかぜ」で知られる。ユーラシア大陸からのモンスーンが日本海側に雪を降らせ、乾いた風となって日本アルプスを乗り越えて一気に降りてくるのがその正体だ。春の到来とともに風は弱まるけれど、それでもこの一帯に風が吹かない日はないらしい。

 というわけで、遠州灘海浜公園へ行き空を見上げると、あった、あった! 悠々と凧が浮かんでいる。

 浜松では、子供が生まれると名前を入れた凧を注文するのが習わし。一年中、公園で凧を揚げている凧揚げ愛好家も多いとか。

「風が弱ければ大きい凧、強ければ小さい凧。毎日天候を見ながら違う凧を揚げるよ」と凧を揚げていた男性は語る。天候や風向き、風の強さが刻々と変わるので「飽きることはないよね」という奥深い世界らしい。

「遠州灘海浜公園」で浜松凧の会・会長の内山富司さんの指導を受けて川内さんも凧揚げに挑戦!

 そんな凧揚げラヴァーたちが一堂に集まるのが、5月の浜松まつり。

「神社仏閣の祭礼とは関係のない市民祭りで、誰でも参加できる」と熱く語るのは、浜松まつり会館の館長、中村敏幸さんである。祭りのハイライトは、170もの町が参加する町対抗の凧揚げ合戦。大勢で力を合わせて凧を操り、お互いの糸を切り合う。賞金が出るわけでもなく、ただ町のプライドをかけて熱き戦いが繰り広げられる。風とともに暮らしがある地域ならではの祭りだろう。

毎年5月開催の「浜松まつり」の凧揚げ合戦。凧糸を互いに絡ませ、摩擦で相手方の糸を切ることからケンカ凧とも呼ばれる 写真提供=浜松・浜名湖ツーリズムビューロー
「浜松まつり会館」では各町の頭文字や初子〈ういご〉の名前が描かれた大凧を展示。ミニ凧揚げ体験も ☎053-441-6211

 公園の南にある中田島砂丘は、日本三大砂丘のひとつで、海から吹く強い風で風紋ができる日もあるとか。

遠州灘の海岸線東西約4キロに広がる「中田島砂丘」。天竜川を流れてきた砂が海岸に堆積し、冬季の西風によって形成された

 急勾配の砂丘を登ると、次第に息が上がってくる。ぜいぜいしながら高い位置に着くと海が見えた。ひんやりとした風を感じる。遠州空っ風とも異なる優しい春風で、ああ、好きなタイプの風だなと思う。もうこのまま寝転んで、昼寝をしたい。遠くの空を海鳥たちが飛んでいるのが見えた。

『WATARIDORI』というフランスのドキュメンタリー映画がある。数千キロも旅していく鳥たちを追ったもので、ダイナミックで美しい映像が続く。鳥たちは風に乗り、森を抜け、川を越え、ビルの間をすり抜け、空を進む。もう20回くらいこの映画を見た私は、毎回あの鳥たちのように、風に乗って飛んでみたいと思ってきた。

 そんな私が次に向かったのは、浜名湖パラグライダースクールである。そう、今日こそ空を飛んでみようと決意したのだ。学校のキャッチフレーズは「空の飛びかた教えます」。校長の名前は青木翼さんで、本名である。

晴天率の高い浜松市の三ヶ日町にある浜名湖パラグライダースクール、校長の青木翼さん

 ひととおりの講習を受けたあと、車で高台にあるパラグライダー場に向かった。丘の上に立つと、浜名湖を見下ろす絶景が広がる。うわあ、本当に飛ぶんだ! と実感が湧いてきた。

標高約300メートルから大空へ!

 パラグライダーを装着してスタンバイ。2人で飛ぶタンデム飛行なので、青木さんがすぐ後ろにいる。普段、高いところは苦手なのだが、まるで怖さを感じなかった。

浜松の風に乗る!

「少し風を待ちましょう」と青木さんの声。1分ほどすると、ゆるやかな風が前方から吹いてきた。その瞬間、「走ってください」と聞こえた。あわてて足を前に出すと、3歩目で体が宙に浮いた。足はただ空中を蹴っているだけだが、もはや止められない。

 足元の地面が途切れると、はるか眼下にはみかん畑と浜名湖が織りなす絶景が広がった。

 きゃあああ!!!

 気がつけば、優雅さとは無縁の叫び声をあげていた。それは恐怖からではなく、興奮と歓喜と幸福感が入り交じった叫びだった。

 ひゃあああーーーーーー! 

 すごい、なにこれ、最高!

 視界いっぱいに広がる空と湖。重力から解き放たれたような感覚。

浜名湖を一望しながら悠々と空の旅を楽しむ。「浜名湖から吹く風はとても上質。遮るものがないので、風が安定しているんです」と青木さん

 どうして自分はこれを知らずに生きてきたんだろう! いや、もう今日まで生きてきてよかった!

 興奮が収まると、リラックスして空中散歩を楽しんだ。私はもはや地面とはつながっておらず、吹き抜ける風の中にいた。味わったことのない感覚だった。時折、下から吹き上げる強い風を感じる。これが上昇気流ですと青木さんが教えてくれる。

 高くのぼったり、旋回したり、ゆらゆらと降りたり。このまま風の中にいたい。すぐ近くを鳥が飛んでいく。その時、ああ、夢がかなった! と思った。

 地上に降りると、芝生の上に寝転がり、大の字になった。体はまだ浮いているかのよう。この感覚を忘れたくない。風は見えない。手でつかむこともできない。しかし私たちは、風と出会い、感じ、遊ぶことはできる。気分はまさにクラウド・ナインだった。

 浜名湖を一望できる窓辺でコーヒーを飲んでいると、30年前に出会ったあの人のことを思い出した。とてもいい風が吹いてくれましたよ、と心の中で報告した。いまも彼は風の研究を続けているだろうか。そうだといいな。

浜名湖の支湖・猪鼻湖〈いのはなこ〉を見渡せる丘の上にある「蔵茶房なつめ」でひと休み
奥三河の天然水で淹れるサイフォン式コーヒーや自家製パンのサンドウィッチ、名産の三ヶ日みかんを使ったジュースもおすすめ

文=川内有緒 写真=荒井孝治

浜名湖パラグライダースクール
タンデムフライト体験は12,000円
オプションで空中撮影サービスも
☎ 053-526-0015
http://jpmsports.com/

蔵茶房なつめ
☎053-524-2525
https://kura-natsume.jp/

川内有緒(かわうち ありお)
ノンフィクション作家。米国企業、パリの国連機関などに勤務後、フリーの作家に。『バウルを探して』(幻冬舎)、『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』(集英社インターナショナル)など著書多数。

出典:ひととき2023年6月号

▼連載バックナンバーはこちら。フォローをお願いします!



この記事が参加している募集

最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、ウェブマガジン「ほんのひととき」の運営のために大切に使わせていただきます。