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「予想外の解との出会いが 研究を面白くする」植物学者・塚谷裕一|わたしの20代

わたしの20代は各界の第一線で活躍されている方に今日に至る人生の礎をかたち作った「20代」のことを伺う連載です。(ひととき2023年1月号より)

 子供のときから植物が好きでした。大学の理学部から大学院に進み、植物分類学、植物生理学にも魅かれましたが、シロイヌナズナという植物を使った分子遺伝学による形作りの研究をすることに決め、今も続けています。

 当時、一番感動したのは、きれいな色の花を咲かせるペチュニアの遺伝子の実験です。花は葉が変化したものですが、なぜ葉と花の色が違うのか。色の遺伝子は葉と花を区別しているのだろうと考え、ペチュニアの花を紫色にする遺伝子をシロイヌナズナに入れると、その遺伝子はなぜか花でなく、葉っぱだけで動きを見せました。あてがはずれた……と困惑しつつ探っていくと、この遺伝子は葉と花びらとを見分けるのではなく、細胞の糖分に反応しているとわかりました。世界の研究の大半は、予想された結果を証明するのが目的です。しかし、このときは予想外の展開になったため、研究は謎を解く形となり、そのぶん難易度は高かったけれど、面白かった。思いもよらない解を見つけた喜びは大きく、一度経験したらハマります(笑)。

 大学で助手の職を得てすぐに、フィールド調査に同行しないかと声をかけられ、毎年、夏はヒマラヤ、冬はボルネオに1カ月ずつ調査に行きました。ヒマラヤでは、毎回、高山病でひどい頭痛に悩まされます。ネパールの地理院発行の手書きの地図が役に立たず、迷いそうになったこともありました。素晴らしかったのは、晴れた日の山々の景色と夜空を埋め尽くす星。高度4000メートルの地でもアップルパイを焼いてくれる、腕のいいシェルパが作るおいしい料理でした。一方、熱帯のボルネオでは細い川を歩くしかなく、下半身は川、上半身は汗で1日中びしょ濡れ。猛毒のヘビもいますし、ハチに刺されることもしょっちゅうです。でも熱帯には、「植物は普通はこういうものだ」と我々が考えるルールを逸脱した植物がとても多い。驚きの連続です。

1991年、夏の白馬岳に調査で訪れた27歳のころ。コオニユリなど高山植物が咲き乱れる

 執筆活動を始めたのも20代。きっかけは、新聞に載った「買ったユリの香りがしない」という投書。本来、ユリは色がきれいで香りがない種類と白くて香りがする種類があるのですが、一般の方は知らないのかなと思い、では夏目漱石の『それから』に出てくるユリはどう思われているのだろう。テッポウユリかカサブランカみたいに思われているのか? そんなテーマで書いた文章を東大出版会の雑誌「UPユーピー」に載せてもらいました。もともと文章を書くのが好きで高校時代も図書館に入り浸り、「UP」も定期購読していて編集の方と知り合いでした。最初の原稿料でワープロを買い、手書きから解放されたのはうれしかった。今も書くことでリフレッシュしています。

 大切にしているのは、学生時代に遺伝学者の故・木村もと先生に言われた「研究は趣味でやってはいけない」という言葉です。「中立進化説」で知られる木村先生は有名なランのマニアで、同じくラン好きの僕に「趣味と研究は違う」と諭されたのだと思います。

 僕は街でも山でも、斜め45度前方の植物を見て歩きます。どこにでもある植物は気になりませんが、珍しいものとは〝目が合う〟。こうして新種も発見できました。これまでの経験と木村先生の言葉を胸に、これからも歩きます。

塚谷裕一(つかや・ひろかず)
1964年、神奈川県生まれ。岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所助教授を経て、現在、東京大学大学院教授。専門は植物学で、葉の発生を司る遺伝子経路の解明を主たるテーマとしつつ、東南アジア熱帯雨林でのフィールド調査など、さまざまな角度から植物の〈生〉を研究。日本学術振興会賞、日本植物学会学術賞などを受賞。2021年、紫綬褒章受章。『植物のこころ』(岩波新書)など著書多数。

29歳で出版した初の著作『漱石の白百合、三島の松』が2022年6月に文庫化(中公文庫)

▼こちらの記事では、塚谷さんに植物園の魅力について語っていただいてます。

出典:ひととき2023年1月号

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