鳴き砂は知っていた|文=北阪昌人
潮の香りをほのかに感じる風が、私の髪を揺らした。懐かしい海岸線が見える。ここにやってくるのは、20年ぶりだ。
パンプスを脱ぐ。裸足になる。砂浜に足を踏み入れる。私は祈るように、すがるように、この海岸に来た。
どうしても、成功させなくてはいけないプロジェクト。私はそのリーダーとしての重責に押しつぶされそうだった。
父の仕事の都合で、小学3年生の時、京都府の北部にある京丹後市に引っ越した。
もともと引っ込み思案で、人見知り。クラスメートたちも大人しく無口な転校生にどう接していいか、困っていたに違いない。私は、放課後、よくひとりで琴引浜に行った。
琴引浜は、鳴き砂で有名だ。砂を踏みしめると、「クックックッ」と鳴く。摩擦係数が大きい石英という鉱物が多く含まれ、さらにゴミや不純物が少ないという条件も加わり、音を奏でる。240年以上前の文献にも、砂の中に琴の音があるという記述があるらしい。
小学生の私は、砂が私の代わりに泣いてくれているようで、うれしかった。なじみのない景色に囲まれていたが、この砂だけは、私の気持ちに寄り添ってくれる、そんな気がした。
テストの点数が悪かったとき、運動会で転んだとき、気がつくとこの海岸に来ていた。晴れていれば、より一層高い声で鳴いてくれる。雨のときは、鳴いてくれない。砂と対話しながら私は、ここで自分の心を整えていた。
東京で就職して以来、ここに来ることはなくなった。ただ、泣きたいときは、思い出した。あの砂を裸足で踏みしめたいと……。
プロジェクト・リーダーに任命されるのは、自分が望んだことだった。私は印刷会社の企画推進部に所属しているが、業態変革の波を受け、新しいビジネスを模索する社内公募があり、私が出した企画が採用された。どうしても成功させたい。気持ちばかりが先走り、会議でもチームを思うようにまとめられずにいた。
金曜日の京都出張を終え、週末、ここまで足をのばした。海岸には、多くの家族連れがいた。子どもの笑い声が青い空に吸い込まれていく。
私は、裸足で鳴き砂を踏みしめる。一歩、一歩。最初は恐る恐る。やがて、しっかり足を下ろすと……「クックックッ」、砂が、鳴いた。
懐かしい響き。懐かしい砂の感触。
でも砂は、泣いていなかった。「クックックッ」。心が浮き立つような、幸せな調べに聴こえた。砂は、私を祝福してくれた――。
そうだよね、鳴き砂さん。あなたは私を知っている。私は、私のまま、前に進めばいいんだね。失敗してもいい。自分が信じたとおりに一歩ずつ、歩けばいいんだよね。
波間に陽の光がキラキラと舞っている。水しぶきが跳ねて、小さな虹をつくった。私は、ゆっくり海に近づく。
「クックックッ」
私の代わりに泣いてくれた鳴き砂が、今は私の代わりに、笑ってくれた。
文・絵=北阪昌人
※この話はフィクションです。次回は2022年9月頃に掲載の予定です
出典:ひととき2022年7月号
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