見出し画像

から鮭も空也の痩も寒の内|芭蕉の風景

「NHK俳句」でもおなじみの俳人・小澤實さんが、松尾芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、あるときは当時と変わらぬ大自然の中、またあるときは面影もまったくない雑踏の中、俳人と旅と俳句の関係を深くつきつめて考え続けた雑誌連載が書籍化されました。ここでは、本書芭蕉の風景(上・下)』(ウェッジ刊)より抜粋してお届けします。

画像1

からざけ空也くうややせも寒の内 芭蕉

画像2

数日はらわたをしぼる

 元禄三(1690)年冬、芭蕉は京都に滞在していた。『おくのほそ道』の旅を前年秋に終えた芭蕉は、江戸には戻らず、故郷の伊賀と大津と京都の三地域に代わる代わる逗留していた。この句を詠じたときには、十一月に伊賀から京都に出てきていたのだ。

 芭蕉たち仲間の代表的俳諧撰集『猿蓑』に所載。『猿蓑』掲載の句には前書はないが、「真蹟懐紙」には次のような前書が付けられている。「都に旅寝して鉢叩はちたたきのあはれなるつとめを夜ごとに聞侍ききはべりて」。「鉢叩」とは平安時代中期の僧空也上人が始めたとされる踊り念仏をしながら歩く僧のことである。陰暦十一月十三日から大晦日まで鉢や瓢箪ひょうたんを叩きながら、念仏を唱えて、京をめぐり歩いていた。

 前書の意味は「都に旅寝をして、鉢叩のしみじみと趣きあるお勤めを毎夜聞きまして」。芭蕉がこの時期京都のどこにいたかは明らかではないが、毎晩鉢叩が通る場所の近くで過ごしていたことになる。夜もふけてつのる寒さの中でも、けっして勤めを怠らない鉢叩に感動して、掲出句を残しているのだ。

「から鮭」は鮭のはらわたを取り除いて塩を使わずに干物にしたものであるが、現在では目にすることはなくなってしまった、失われてしまった季語である。「空也」は鉢叩の僧のこと。これも京の町を歩くものは滅びてしまった。「寒」とは、立春前のおよそ三十日間である。句意は「から鮭と空也僧の痩せた姿とがともに寒の厳しさの中にある」。

画像3

 伊賀の門人土芳が残した俳論書『三冊子』の中に、掲出句について、芭蕉が残したことばが記録されている。「心の味をいひとらんと数日腸をしぼる」である。「心の味」とは鉢叩の修業から受けた感銘である。それを発句の形に表現しようとして、数日の間苦労した、と述べているわけだ。「腸をしぼる」という形容に凄みがある。芭蕉自身がこれほどまでに苦心したと告白している句は他に多くない。

空也上人立像のおもかげか

 今日は京都市東山区の六波羅蜜寺ろくはらみつじを訪れてみたい。ここは鉢叩の祖である僧空也の活動拠点であり、没した地でもある。空也の彫像も残されている。江戸時代の鉢叩の本拠地は中京区の空也堂であるが、こちらの寺は改めて訪ねたい。芭蕉の「鉢叩」の句はもう一句残されている。なお、六波羅蜜寺も空也堂も、芭蕉が訪ねたという直接の記録は残っていない。

 京都駅から近鉄奈良線に乗って東福寺駅下車。京阪電鉄京阪本線に乗り換え、清水五条駅下車。秋も終わりの晴れた日、五条通を東に進み、大和大路通を北上すると、六波羅蜜寺の近くに出る。

 本堂を拝した後、本堂裏手の宝物館に向かう。ここに、鎌倉時代につくられた有名な空也上人立像がある。左手は鹿の角のついた杖をつき、右手に撞木しゅもくを持って、胸にかけたかねを打って歩く姿である。口から六体の阿弥陀仏が出ているのが目を引く。これは念仏で唱える「南無阿弥陀仏」の六音を見えるかたちで表現したものである。念仏を唱えつつ、民衆を教化しようとした空也の姿がまさに捉えられているのだ。

 そして、頬がそげているところ、胸が薄いところも目を引く。「空也のやせ」とは鉢叩の僧の痩せ細った姿を表現したことばであるのだが、芭蕉の句がこの寺の空也上人立像を見たことによって生まれた可能性を夢想したくなる。

 宝物館のビデオは、毎年年末に当寺本堂内陣で行われる空也踊躍念仏ゆやくねんぶつを映していた。鉦を打ち鳴らしながら念仏を唱え堂内を巡る姿は、芭蕉が見たはずの鉢叩の姿を彷彿とさせる。

 さて、「から鮭」も「空也の痩」も「寒の内」もそれぞれ冬季の季語となる。「空也の痩」は「鉢叩」の派生季語である。三つの季語の季重なりの句でありながら、ゆるみを一切感じさせないのは不思議だ。「寒の内」が主季語となって、二つの従季語「から鮭」「空也の痩」を包むような構造になっているからだろう。

「から鮭」は魚に由来するたべものであり、「空也の痩」は痩せている僧である。まったく異なったものと見えながら、実はともに生き物であり、しかし死と生の状態に分かたれ、それでもどこか形状が似ている。それがことばとことばの間に緊張関係を生み、詩的なスパークを生じさせているのだ。

 この二つ「から鮭」「空也の痩」を見つけ出すのに、芭蕉は腸をしぼる苦労をしたのだろう。上五中七下五すべて語頭はK音で、よく響き合っている。鉢叩のたたく鉢の音を想起させるのだ。

 口を出て南無阿弥陀仏なむあみだぶの仏冷ゆ 實
 痩胸の空也が鉦や小春空

※この記事は2018年に取材したものです

小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。

▼本書のご注文はコチラ

※本書に写真は収録されておりません


いいなと思ったら応援しよう!

ほんのひととき
最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、ウェブマガジン「ほんのひととき」の運営のために大切に使わせていただきます。