建築家のW・M・ヴォーリズが愛し、暮らした街へ(滋賀県近江八幡市)|ホンタビ! 文=川内有緒
作家の川内有緒さんが、本に動かされて旅へ出る――。登場人物を思うのか、著者について考えるのか、それとも誰かに会ったり、何か食べたり、遊んだり? さて、今月はどこに行こう。本を旅する、本で旅する新連載「ホンタビ!」が始まります。
[今月の本]
門井 慶喜著
(KADOKAWA/角川文庫)
『屋根をかける人』
キリスト教布教のために来日し、滋賀県八幡(現近江八幡市)を拠点に精力的な活動を続け、日本各地に西洋建築の傑作を数多く残した建築家・実業家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ[1880〜1964]。「日本人として生きること」を選び、終戦後は、昭和天皇を守るために尽力した。その熱き人生を追った感動の歴史小説。
眩しい日差しが照りつける中、近江八幡の駅に降り立った。琵琶湖が近いせいか、吹き抜ける風は涼やかだ。ここに来られて嬉しかった。なにしろ私は「湖が好きなんです」などと公言しているわりに、48年の人生で琵琶湖を見たことがなかった。これで、いつか開催されるだろう「世界・湖好き選手権」へのエントリー資格が得られるに違いない。
観光案内所でマップをうけとり、街を歩く。古い建物にカフェやショップが入り、ほどよい活気がある。きっと〝彼〟が見た風景とはかけ離れているんだろうなと思った。
今から116年前、キリスト教の伝道に燃えてこの駅に降り立った若いアメリカ人男性がいた。名はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。横浜から17時間の列車の旅を経てこの地に降り立った彼は……。
プラットホームにおりた瞬間、
「帰ろう」
憂鬱が頂点に達した。メレルは人が好きなのに、人と話すのが大好きなのに、ここには人がいないのである。
寂しげな駅の様子に、いきなりホームシックになってしまった。彼はこの地で英語教師として働くことになっていた。諸事情により教師を解任されると、そこから逆に活躍の時代が幕を開ける。大学時代に得た建築の知識を活かし、設計の仕事を請けおった。教会、住宅、学校、商業施設やオフィスまで手がけ、携わった建築物は1600以上(東京の山の上ホテルや軽井沢会テニスコートのクラブハウスなども)! さらに結核療養所(現ヴォーリズ記念病院)や、幼稚園から高校までの教育機関(現ヴォーリズ学園)を設立。また「メンソレータム」(現近江兄弟社メンターム)を日本に広めた、ビジネスマンの顔も持つ。
1907年(明治40年)に建てられたヴォーリズ最初の建築作品「アンドリュース記念館(旧近江八幡YMCA会館)」
建物が人間に合わせる
観光マップにも「ヴォーリズ」の文字があちこちに躍る。ヴォーリズ建築にヴォーリズ記念病院、ヴォーリズ学園、ヴォーリズの銅像も。これはもう鳥取の境港における水木しげるさん以上の存在だぞ、と思いながらヴォーリズ記念館を目指す。ヴォーリズが妻・一柳満喜子と暮らした建物である。
あれっと思った。現れたのは、予想外に小さく地味な建物だった。勝手に豪奢な洋館をイメージしていたので、戸惑った。とはいえ、記念館館長の藪秀実さんによれば、建物の内装ほかあらゆるディテールにヴォーリズらしさがちりばめられているという。たとえば、記念館の建物はもともとヴォーリズが運営する幼稚園施設の一部だったので、「子供でもドアが開けられるようにドアノブは低い位置にあります」
なるほど!
「人間が建物に合わせるのではなく、建物が人間に合わせる。ヴォーリズは見える『建物』というものを通じて、建物の奥にあって見えないもの、つまりは『暮らし』を大切にした人なのではないかと思います」
ヴォーリズ記念館 当館は1931年(昭和6年)竣工。ヴォーリズの遺品や資料を保存・展示している
記念館には、満喜子との写真も飾られている。彼女がまた興味深い人物で、この時代にはレアなことにアメリカに9年間も留学していた。ヴォーリズは、聡明で行動力がある満喜子に惹かれプロポーズ。
「私が日本を理解できないのなら、満喜子さん、あなたがそれを助けてください。私と日本とのあいだに、あなたが割って入ってください」
「どれほどの期間?」
聞かれて、メレルは即答した。
「この世界のつづくかぎり」
素晴らしい伴走者を得たヴォーリズ。やがて日本国籍の取得を決め、名前も一柳米来留に変えた。そこには文字通り「アメリカから来て留まる」という強い決意がこめられ、それは第二次世界大戦で日米関係が悪化しても変わらなかった。
ヴォーリズ記念館 ヴォーリズ建築を散策中、ほっとひと息つく川内さん
「このサインを見てください」
藪さんは、記念館の壁にかかった1枚の書を指さした。そこにはヴォーリズのサインがあり、横には丸が描かれ、中に点が打たれている。
「まるを書いてちょん。それはヴォーリズが、神によって導かれた近江八幡は『世界の中心だ』と公言していたことを表したものです。彼はいったんここに来た以上、ここに留まると決めていました」
彼は近江八幡を愛し続け、83年の生涯を閉じた。
居間に飾られているヴォーリズの書。個性的で力強い筆づかいだ。左下「〇」の中に「・」が見える
「世界の中心」を散策する
というわけで、私も「世界の中心」を散策してみる。中心地には江戸から明治時代に活躍した近江商人たちが残した白壁と瓦屋根の街並みが保存されている。そんな街の一角には、ヴォーリズが設計したかわいらしい郵便局や立派な洋館もある。異なる時代や文化が混ざり合い、他にはどこにもない風景があった。
旧八幡郵便局。局舎の役目を終えると空き家になっていたが、NPO「一粒の会」が玄関部分などを復元、現在は週末のみカフェとして開館
せっかく来たので、「八幡堀めぐり」も体験する。その昔、琵琶湖の近辺には水路が張り巡らされ、水運の要となっていた。八幡堀めぐりは、当時と同じように船頭さんが竿1本で操るスタイルである。ゆらゆらと静かに進む舟からは、土蔵や石畳の道が見え、近江八幡の長い歴史を感じさせてくれた。そういえば、ヴォーリズ記念館の藪さんも話していた。「近江は、2世紀、3世紀に行われていた祭りが今も続いているほど歴史が古い。ヴォーリズは近江の歴史の最近の100年にすぎないんですよ」
「近江八幡の水郷」。舟上で当地の歴史・文化について船頭さんの解説を聞きながら、堀沿いに立ち並ぶ土蔵や旧家をのんびりと眺める
そうだ、そろそろ琵琶湖を見に行かなくてはとハッとした。湖畔に出ると、たっぷりとした湖水がどこまでも広がっていた。私は湖が好きだ、やっぱりそうだと実感した。私にとって湖は、なにか美しいものが閉じ込められた琥珀みたいに見える。しかも、琵琶湖はその中でも特別で、本当に「沖島」を包み込んでいるのだ。日本で唯一、人が暮らす湖の島――。そんな珍しいところに私が行かないわけがない。
琵琶湖畔でヴォーリズを思いながら読書!
小さな船に揺られて島にわたる。すれ違うのがやっとの細い路地、ぎっしりと並んだ家。その合間を三輪自転車に乗った住民たちがゆきかい、湖畔に干した洗濯物がふわーっと風に揺られている。野鳥はのんびりと佇み、猫は昼寝をし、夢の中にいるような時間の流れ方に、もう自分がどこにいるのかわからなくなった。
琵琶湖の沖合に浮かぶ沖島。市内との行き来は船のみ。昭和レトロな雰囲気が島のいたるところに残る
よし! これで「世界・湖好き選手権」にエントリーができるはず。そういえば、ヴォーリズも湖が好きだっただろうか。きっとそうだったに違いないと思いつつ、帰りの船に乗り込んだ。
沖島のカフェ「汀の精」で天然のビワマスやスジエビを堪能(季節の湖魚を使用)
*引用はすべて『屋根をかける人』から
文=川内有緒 写真=佐藤佳穂
Information
ヴォーリズ記念館
☎0748-32-2456
http://vories.com/zaidan/kinenkan/index.html
旧八幡郵便局(一粒の会)
☎0748-33-6521
八幡堀めぐり(ほのぼの館新町浜)
☎0748-36-5115
汀の精
☎0748-47-8848
川内有緒(かわうち ありお)
ノンフィクション作家。米国企業、パリの国連機関などに勤務後、フリーの作家になる。第33回新田次郎文学賞『バウルを探して』(幻冬舎)、第16回開高健ノンフィクション賞『空をゆく巨人』(集英社)など著書多数。
出典:ひととき2021年10月号
※この記事の内容は雑誌発売時のもので、現在とは異なる場合があります。詳細はお出かけの際、現地にお確かめください。
最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、ウェブマガジン「ほんのひととき」の運営のために大切に使わせていただきます。