「父として形を残せるもの、それが小説でした」（作家・上田秀人）｜わたしの20代
「わたしの20代」は各界の第一線で活躍されている方に今日に至る人生の礎をかたち作った「20代」のことを伺う連載です。（ひととき2022年11月号より）
開業医の母の強い希望で、医学部を受験したもののかなわず、歯科大学に進みました。
6年間の学生時代は、学業とボウリング同好会の活動で、とにかくしんどかったですね。当時はレポートも膨大で、休日もなく、1日3時間寝られると「よく寝た」と思えるような日々。さらに病院実習では、人の体に触るわけですから、失敗は許されません。指導は本当に厳しかった。今でもたまに実習の夢を見ます。
ボウリング同好会のメインは毎年、全国の歯科大学が集まる体育大会です。もともと僕らの大学は予選ですぐ敗退し、あとは開催地を観光して帰るのんびりしたパターンだったんですが、たまたま僕が入った年に、3ゲームオールパーフェクトを出せるような「全国学生ナンバーワン」の人が入部したため、「他のメンバーも努力せいや！」ということになり、合宿練習が始まりました。
大阪市内のホテルに泊って、連日朝10時から夜6時くらいまで、60ゲームくらい投げ続けると、指に豆ができるのは当たり前。その豆が潰れてレーンに血が飛ぶので、各々タオルで拭きにいく。おかげで大会では、3年連続優勝できました。
僕は2軍でしたが、副キャプテン兼会計として、他大学との連絡や遠征の手配、OBに頭を下げ、寄付をお願いするのも仕事でした。遅刻を続ける後輩を怒鳴りつけたこともあります。後輩たちには怖い存在だったでしょうね。でも、この活動で仲間ができて、先輩たちにレポートのアドバイスなどをもらえたおかげで、僕は無事に卒業できたと思います。
幸い国家試験は1度で通り、3年間の勤務医を経て、28歳のときに自宅を改修して開業しました。患者さんが来なかったらどうしようと開業当初はものすごく不安でした。確か初日は2人、次の日が7人……少しずつ軌道に乗った感じです。
20代のころは作家になろうと考えたことはありませんでした。きっかけは、息子たちです。歯科医は子供たちに仕事を見せられない。そうだ、作家なら本が残せると、甘い考えが浮かび（笑）、故山村正夫先生の小説講座に通い始めたのです。時代小説との出会いは、父が大河ドラマの原作を揃えていたので、子供のころ、『天と地と』や『勝海舟』などを繰り返し読んでいました。その後は山手樹一郎*作品などを読み、高校時代には、山手先生をまねた小説を書いたことも。このときの知識、合戦やチャンバラのワクワク感が今の僕の基礎ですね。もっとも今は「ズサッ」「ドサッ」と書くだけで枚数が稼げるので展開に困ったら対決シーンに頼っています（笑）。
＊歴史小説家［1899-1978］。編集者として山本周五郎などを担当する傍ら、自らも小説を執筆。代表作は『桃太郎侍』で、爽快な勧善懲悪ものを得意とした。
デビュー後、15年間は歯科医と兼業しながら、執筆を続けました。駆け出しのころ、エージェントや先輩作家に言われた通り、「来た仕事は全部受けろ」「締め切りは死んでも守れ」と自分に言い聞かせ、多いときは1年に22冊の作品を発表しました。その頑張りができるのも、大学時代、レポートや実習の苦労に耐えた経験があるから。デビュー当初は「君の小説は序論、総論、結論でレポートみたいだ」とよく言われました。
僕は、世間で流行っているものや先取りしたものよりも、いつのまにか廃れたものや忘れられた人に興味があります。今は少しペースを落としつつも、著作200冊を目指し、書き続けていきます。
上田秀人（うえだ・ひでと）
1959年、大阪府生まれ。大阪歯科大学卒業後、歯科医院を開業。97年「身代わり吉右衛門」で、第20回小説CLUB新人賞佳作を受賞し、デビュー。2010年『孤闘 立花宗茂』で第16回中山義秀文学賞、14年「奥右筆秘帳」シリーズで第3回歴史時代作家クラブ賞シリーズ賞、22年「百万石の留守居役」シリーズで第7回吉川英治文庫賞を受賞。「勘定吟味役異聞」「辻番奮闘記」ほか、人気シリーズ多数。
最新刊は、堺商人の視点で織田信長を描いた『布武の果て』（集英社）
談話構成＝ペリー荻野
▼この連載のバックナンバーを見る
いいなと思ったら応援しよう！
