行けたらといつか思った|心に響く101の言葉(1)
奈良の古刹・興福寺の前貫首が、仏の教えと深い学識をもとに、古今の名言を選び、自らの書とエッセイでつづった本書『愛蔵版 心に響く101の言葉』(多川俊映 著)がまもなく発売されます。その中から、十篇を順次公開していきます。第1回は、思うように旅に出掛けられない今こそお届けしたい言葉です。
すべては心から始まる
宗教はそもそも唯心論だが、それを先鋭化して、すべてを心の要素に還元して考えるのが、仏教の唯識思想だ。もちろん、物の世界はある。というか、私たちは、そういう物の世界の中に住んでいる。それが厳然たる事実だ。
――すべては心だ、といっても、たとえば、東京と大阪の間には一定の空間がある。現在、その移動に新幹線で二時間三十分ほどかかる。二時間三十分は二時間三十分だ。それ以上でも、それ以下でもない。物の世界とはそういうものだ。
が、その二時間三十分が速いか遅いかは、また自ずから別の問題だ。そして、そこのところに、さまざまに展開する心の世界があるということだろう。
北原白秋の童謡に、「海の向う」というのがある。
あの島へ漕いで行けたら、
行けたらといつか思つた、
その島にけふは来てるよ。
今日その島に来ているのは、いつだったかに「行けたら」と思ったからだ。そうした心の動きがなければ、その島なぞに来ていない。
この点で、私たちは物の世界の中にいるにもかかわらず、――すべては心なんだ、と言い切ってもいいのだと思う。
白秋はこの「海の向う」を、――今度こそ遠く行かうよ。と結んでいる。
多川俊映(たがわ・しゅんえい)
1947年、奈良県生まれ。立命館大学文学部心理学専攻卒。2019年までの6期30年、法相宗大本山興福寺の貫首を務めた。現在は寺務老院(責任役員)、帝塚山大学特別客員教授。貫首在任中は世界遺産でもある興福寺の史跡整備を進め、江戸時代に焼失した中金堂の再建に尽力した。また「唯識」の普及に努め、著書に『唯識入門』『俳句で学ぶ唯識 超入門―わが心の構造』(ともに春秋社)や『唯識とはなにか』(角川ソフィア文庫)、『仏像 みる・みられる』(KADOKAWA)などがある。
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