岐阜の地歌舞伎が自分の原点――中村いてうさん
「地歌舞伎(*1)」が日本一盛んな岐阜では、江戸の風情が残る芝居小屋が各地に残っています。ひととき9月号の特集では、美濃・飛騨の「地歌舞伎」を紹介しています。その中の岐阜県恵那市出身の歌舞伎役者・中村いてうさんへのインタビュー記事を転載してお届けします。
中村いてう:岐阜県恵那市出身
地歌舞伎の振付師として名高い松本団升(だんしょう)さんを祖父に持ついてうさん。もの心ついた頃から当たり前のように芝居の世界に触れ、「芝居が友達」という日々を送っていたそうです。
*1 岐阜では地芝居のことを「地歌舞伎」と呼んでいます
小さい時のことはあまり覚えていないのですが、振付師をしていた祖父のそばを黒衣(くろご)を着てうろちょろしたり、写真を撮ると聞くとわざわざ刀を持ってきてポーズをしたり、そんな子供だったようです。少し大きくなると、茣蓙(ござ)を使ってテレビで見た歌舞伎の早替わりの真似をし、加湿器のスチームを煙に見立てては役者気分。血のつもりでケチャップまみれになっては怒られていました。
祖父の団升さん(右)と一緒に地歌舞伎の公演へ
写真提供=中村いてう
中学生になると太棹(ふとざお)の三味線に夢中になり、どうしたら自分の好きな音が出せるのかと学校から帰ると、すぐ楽器に触るという日々。
手にタコができるほど弾いていると、それまで漠然と聞いていた音はいろんなパートが重なって世界を形成していることがわかり、それを分析するのが面白くなりました。
役者になってはみたけれど…
芝居には気がついたら出ていた、そんな感じです。強く印象に残っているのは「鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」で敵役の岩藤(いわふじ)を演じた時のこと。大歌舞伎の舞台中継を録画したビデオを見ながら、演じ方を自分なりに分析してみたんです。
すると、ここで気持ちが動くからこういう行動になるんだ、ということがわかる。舞台でそれを実践してみました。主人公の尾上(おのえ)をいじめていると、相手役の子が涙目になっていたんです。なんだこれは! と思いました。それまでに味わったことのない感情でした。
そんな環境でしたから将来は役者になるのだと、ごく自然に思うようになりました。同じ岐阜出身の笑三郎さんが先鞭をつけてくれていたこともあり、周囲も同じ思いだったようです。
高校卒業後に国立劇場歌舞伎俳優研修生になり、そこで基礎を学びました。その頃に、当時は勘九郎を名のっていた旦那(十八代目中村勘三郎)の芝居に出会い、衝撃を受けたんです。
この人についていくしかないと思い、研修修了後2001年(平成13年)に弟子入り。その前年11月に始まったのが「平成中村座」で、そこは小さい頃によく出入りしていた芝居小屋とよく似た空間でした。
もの心ついた頃から自分にとって芝居は日常で、友達と遊ぶより芝居のことを考えているのが楽しい。そういう日々をずっと過ごしてきましたから、役者になれたのは願ってもないことでした。
ですが……。好きすぎていっぱいいっぱいになってしまったというか、ある時まったく逆の感情が爆発してしまったんです。思ったようにできない自分がもどかしく、そこにいろいろな思いが重なって、ついに逐電(ちくでん)してしまったんです。
アルバイトを始めるとそこにはいろんな人がいました。生活のために仕事をしている人もいれば夢を持って働いている人もいる。そんななかで日々を過ごしているうちに、気がつくと芝居のことを考えていました。
2016年の錦秋特別公演「草摺引(くさずりびき)」で曽我五郎を演じる
写真提供=ファーンウッド
地歌舞伎は自分の原点
やっぱり中村屋に戻りたいと強く思いました。そして旦那へ手紙を書き、お許しを請うて門弟に戻ることができたのです。破門されて当然なのに、旦那は以前と変わることなく接してくださり、自分の居場所を残しておいてくださった……。兄弟子も「あいつは戻ってきますよ」と、擁護してくださったそうです。
以前に誰からともなく「芝居には人生から滲み出るものがあるから経験が大切」と言われたことがあるのですが、その言葉の意味を実感しました。
旦那は、「勘三郎襲名」という中村屋にとって大切な時期に1年も姿を消していた自分を、再び迎え入れてくださいました。復帰して、芝居小屋を巡る旦那の襲名披露公演で地元を訪れた時、原点に戻った思いがしました。
恵那市の観光大使に任命された今、育ててくれた地元のために、自分にできることがあればどんどんやっていきたいと思っています。
インタビュー=清水まり
中村いてう(なかむら いちょう):1981年、岐阜県生まれ。2000年、国立劇場第15期歌舞伎俳優研修修了。2001年4月、五代目中村勘九郎(十八代目中村勘三郎)に入門。歌舞伎座「頼朝の死」の町人ほかで、中村いてうを名のる。2015年4月平成中村座「魚屋宗五郎」の小奴三吉(こやっこさんきち)ほかで名題昇進。恵那市観光大使
清水まり(しみず まり):エンターテインメント分野を中心に執筆。「T:The New York Times Style Magazine」の日本版「T-JAPAN」ウェブサイトにて歌舞伎俳優へのインタビュー「歌舞伎への扉」を連載中。芝居小屋に関する書籍に『愛之助が案内 永楽館ものがたり』(集英社)がある。
岐阜県の「地歌舞伎」全般に関するお知らせ
ぎふ歴史街道ツーリズム事務局(日本イベント企画株式会社内)
☎0584-71-6134
*ひととき9月号はamazonでは完売しましたが、他書店では入手できますので、お求めの方はそちらへよろしくお願い致します。
出典:ひととき2020年9月号
特集「美濃・飛騨 歌舞伎遊山 ふたたび 日本一、芝居に熱い!」
写真=林 義勝 インタビュー=清水まり
◉序幕 地歌舞伎 歴史考 文=安田文吉・安田徳子
◉めくるめく 地歌舞伎の里へ(グラビア)
◉幕間 思い出話 Part1 市川笑三郎さん
◉幕間 思い出話 Part2 中村いてうさん
◉終幕 だから、地歌舞伎へ 文=仲野マリ
◉特別インタビュー 中村勘九郎さん・中村七之助さん
最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、ウェブマガジン「ほんのひととき」の運営のために大切に使わせていただきます。