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汽車の思い出に浸る旅 野田隆(旅行作家)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2024年1月号「そして旅へ」より)

 少し離れた木立の後ろで煙が上がり、汽笛とともに黒光りした列車が煙を吐いて驀進ばくしんしてくる。やがて機関車のD51というナンバープレートが夕日を浴びて輝き、目の前を通り過ぎていく。決して片田舎の話ではない。今を去ること60年以上も前、名古屋市内で毎日のように見られた情景だ。生まれ育った家が、国鉄(現・JR東海)中央西線のくさ駅とおお曽根ぞね駅の間の線路からほど近いところにあったので、親に手を引かれて連日汽車を眺めるために踏切に通っていた。汽車が遠ざかり、客車の赤いテールライトが小さくなり、やがて消えていく。あの汽車はどこへ行くの? 長野の方。長野ってどこ? どんなところ? 鉄道への関心のみならず、未知の土地への興味と憧憬が目覚め、小学校へ入る頃には地図や地理好きになっていた。

 毎日のように眺めていた汽車だが、意外にもほとんど乗ったことがなかった。幼稚園に通っていた時、園児数名と先生のお宅を訪ねて、中央西線が走る郊外の駅まで汽車に乗ったことがあった。行きはディーゼルカーだったのでガッカリしたのだが、帰りはD51が引っ張る正真正銘の汽車だった。先生のお宅でどんなことをしたのか全く記憶にないのだが、汽車が汽笛を鳴らして矢田川の鉄橋を轟々ごうごうと渡った時の情景は今なお鮮明に思い出す。

 時は流れ、いつの間にか蒸気機関車は、北海道を最後に鉄路から消えてしまった。汽車は好きだったが、カメラ片手に旅をすることはなかったので、いわゆるSL撮影ブームとは無縁だった。もう永遠に煙を吐いて走る汽車を目の当たりにすることはないのか、と落胆した。

 そんな折、大井川鐵道で汽車が復活するというニュースを聞いた。ただし、その頃はすでにSLと呼ぶのが一般的だった。でも、そんな呼び方はどうでもよい。煙を吐く蒸気機関車にかれる茶色の旧型客車に乗れるのなら、それで満足だった。SL「かわね号」は、大井川に沿って走り、茶畑の間を縫って進む。轟々と音をたてて大井川の鉄橋を渡ると、山の中へ分け入っていく。幼少の頃、僅かながら体験した汽車旅が蘇った。

 その後、SLが山口線を始めとして、各地で動態保存の観光列車として復活し、意外と簡単に汽車旅が楽しめるようになった。しかし、SLはよいとして、連結するのが旧型客車でないことがほとんどなのだ。旧型客車のドアは手動で、転落する危険があるし、冷房がないので観光列車として書き入れ時の夏場は快適ではない。冷房付きで自動ドアの新型客車(といっても現在では車齢50年ほど)が好まれるのは致し方ないと思う。にもかかわらず、大井川鐵道では旧型客車にこだわり、しかも期日限定の特別な列車としてではなく、毎日のように走っているのが嬉しい。最近は異色のきかんしゃトーマス号も走り、災害で一部区間の運休が続きつつも、伝統的な汽車の運転は続いている。幸い東京や名古屋からは東海道新幹線を利用すれば日帰りも可能なので、何度となく再訪している。

文=野田 隆 イラストレーション=駿高泰子

野田 隆(のだ たかし)
旅行作家。日本旅行作家協会理事。1952年、愛知県名古屋市生まれ。都立高校で英語を教える傍ら、ヨーロッパや日本各地の紀行エッセイなどを発表。2010年に教職を退いた後、フリーの旅行作家として活躍する。著書に『にっぽんの鉄道150年』『シニア鉄道旅の魅力』(いずれも平凡社新書)など

出典:ひととき2024年1月号

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