[初いけ式]主役は雪の重みにしなやかに耐え、まっすぐ伸びる竹|花の道しるべ from 京都
流派の1年は、1月第2日曜日の「初いけ式」から始まる。祖父の時代から京都市内のホテルで開催している。家元による初いけの披露に続き、流派代表者8名が恒例により七五三の若松をいける。初いけ自体は40分ほどで終わり、続いて新年会に移る。
曽祖父の時代には、親しくお付き合いしている皆さまや流派の教授者が、家元に新年のご挨拶にいらしていたと聞く。その後、祖父が、皆さまが集える場を作りたいと、現在の初いけ式の形式をととのえた。多くの皆さまが一堂に会し、共に新年をことほぐことができるのは、本当に幸せなことだ。新年会の締めは、空くじなしの福引。ご来賓の皆さまが景品を提供して下さる。コロナ前にはビンゴゲームだったが、時間短縮も兼ね、ここ数年は福引が恒例になった。私が幼稚園の頃のアトラクションは、風船飛ばし。ヘリウムガスの入った風船におもりをつけた紐をつけ、うちわで扇いでゴールまで飛ばす。初いけ式は、そんな和気あいあいとした楽しい正月行事でもある。
流派代表者の作品は、若松と決まっているので、家元作品は、干支や歌会始のお題をテーマにして毎年趣向を変える。花材は、神の依代*とされる「松」を選ぶことが多いが、「竹」を主役にする場合もある。雪の重みにも柔軟に耐え真っすぐ育つ竹は、忍耐や正しい心に通じるとされ、松同様、神霊が宿ると信じられてきた。かぐや姫が竹から生まれるのも、この信仰に基づくものだろう。葉がついた竹をいけばなの花材に用いる場合は、水あげが難しい。しかし、華道家にとって竹は、花材としても花器としても用いることができる稀有な存在である。
成長繁栄の象徴である竹は、神事にも欠かせない。商売繁盛の神様として知られる大阪の今宮戎神社では、正月十日に十日戎の祭礼が行われ、笹の授与を行う。この笹は孟宗竹の枝。お揃いの着物の上に千早と呼ばれる白い羽織を着用し、頭に金の烏帽子を付けた福娘が、小判や小槌、米俵や鯛といった縁起物の吉兆をつけた福笹を授与する姿は、大阪の新年の風物詩となっている。この今宮戎神社の福娘、選ばれるには、何十倍もの倍率を勝ち抜かねばならず、アナウンサーの登竜門などと言われている。毎年12月には桂文枝師匠の司会で福娘発表会が行われ、私も2013年から審査員を務めている。
松と竹に次いで、新年の花材として愛でられるのは「梅」。百花のさきがけとして、霜雪の中に清い香りを放って咲く。江戸時代のいけばなの独学書には、正月1日に松、2日に竹、3日に梅をいける、と書かれている。今ではこのように贅沢ないけ方はできないが、松竹梅は「歳寒三友」と呼ばれ、寒い冬に耐える強い花として中国の文人画で好まれる画題の一つでもある。
今年の初いけ式では、南天の赤い実を添え、難を転じて、幸多き一年になるようにとの願いを重ねようと考えている。2024年は、未生流笹岡の創流105周年にあたる。普段は、地区ごとにいけばな展を開催するのだが、5年に1度の周年は、全国から流派の門葉が京都に集い、いけばな展や祝賀会などの記念事業を開催する。前回の100周年には、流派の最高位である紫幕の先生方58名に流花カキツバタをいけていただき、祝賀会の舞台では、宮川町の芸妓、とし夏菜さんに笛を、美恵雛さんに鼓をお願いして、いけばなパフォーマンスを披露した。この秋の105周年では、次代を担う子供たちに舞台で花をいけてもらおうと目論んでいる。
体系化された技を継承するのが流派だが、実際に流派を繋いでいくのは、なんといっても人。カキツバタの技に絶対の自信を持つ先生、木物を扱わせたら誰にも負けない先生、統率力があり周りを引っ張って行って下さる先生、友人が多く流派の行事にたくさんの人をお連れ下さる先生、周りを幸せにするムードメーカー的存在の先生、厳しいけれどお弟子さんのことを自分の子や孫のように可愛がる先生、命ある花を慈しむ気持ちを何より大切になさる先生……。そんな先生たちが、未生流笹岡の物語を紡いで下さった。
多くの先人の汗と涙がしみ込んだ襷を、次に繋げられるよう、これからも流派一丸となって、いけばな、そして日本文化の発展に力を尽くしていきたい。
文・写真=笹岡隆甫
▼連載バックナンバーはこちら。フォローをお願いします!
最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、ウェブマガジン「ほんのひととき」の運営のために大切に使わせていただきます。