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富士山が見える場所|佐佐木定綱の旅を詠む、歌を読む
歌人の佐佐木定綱さんによる、旅に出て、旅を詠む、そして旅を愛する皆さんに贈る、旅の短歌を読むエッセイ。皆さんもほんのひととき、旅の歌を味わってみませんか。第1回でご紹介するのは、穂村弘さんの作品から――。
「富士山じゃない?」とは口に出しませんちがっていたら恥ずかしいから
穂村弘 『水中翼船炎上中』
「東京は山が見えないよね」
ある時、山登りが趣味の友人に言われたセリフだ。その友人は登山のために各地を訪れているが、東京の駅に降りるとそれが印象的だという。
そんなことはない。うちの近くの多摩川の土手(ギリギリ東京だ)からは富士山が見える。犬の散歩で行っていた急角度な上にどこまでも続く地獄のような坂からも見える。息を切らしているぼくと犬に雄大な富士山がおつかれさまと言ってくれるんだ。と反論したが、「富士山は見晴らしさえよければたいていのところから見えるんだよ」と言われてしまった。
「富士見の地名はいたるところにある。山岳信仰というのもあるし、あの美しい姿を全国から眺めていたんだ」
なるほど、そういうものなのか。それでも東京から「山」は見えてるじゃないかと食い下がろうとしたがやめた。めんどくさそうだったから。
つまり富士山っぽい山が見えればそれは富士山である。お札の裏にも描かれていて、正月にはほぼ必ずテレビに映し出され、幼稚園児でもそらで描けそうなほど印象的、ぼくらの遺伝子に刻み込まれているあのフォルムが見えれば、それは富士山で間違いないのだ。
そう思っていたからこの歌に出会ったときは驚いた。
「富士山じゃない?」とは口に出しませんちがっていたら恥ずかしいから
これは旅行中の一首だと思う。場所はわからないけれど知らない土地にいて、ちらっと富士山っぽいものが見えたのだろう。でも普段とは違う状況だし、確信が持てない。もし違っていたら……と怖くなって言葉を飲み込んだ。という場面ではないだろうか。ここには話し相手となる、少なくとももう一人の登場人物が隠れている。
いやいや、そんなことあるわけないじゃないですか。富士山を見間違えるなんて。あの限界まで水分量を増やしたプリンのような形、間違えようがないじゃないですか。
しかし、これは旅行中という非日常の場面なのだ。普段知っている近所からの眺めではない。自分が知らないだけで、めちゃくちゃ富士山にそっくりな山がその地方には存在している可能性もある。
富士山が見える場所で、富士山っぽいものが見えて、でも実はそれが富士山じゃなかったら……。これはペンです。え、違うんですか? 当たり前のことほど間違えてしまったときのダメージが大きい。常識というのは自分の根幹をなすものだから。間違えた瞬間に自分の信じていた世界が土台ごとガラガラと音を立てて崩れてしまう。恥ずかしさとともにそれが怖くて口に出せないんだろうなぁ。
まさにここなのだ。旅というものは普段なら当たり前のことも当たり前ではなくなる。自身の常識なんていうものがいかにあやふやなものか、旅に行くことで体験として理解できる。白と黒しかなくて息苦しいネットを見ていると、現代に必要なのはなによりも旅なのかもしれないとすら思う。
休日にも引きこもっているぼくはせめて旅の歌を詠み、窓の外を眺めてみるのだ。日常の中で知っているつもりになってしまっていることを疑ってみよう。靄がかったビルの合間に見えるあの印象的な山。あれは、富士山なのだろうか。
文=佐佐木定綱
イラスト=山本裕子
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佐佐木定綱(ささきさだつな)
1986年、東京都生まれ。歌人。「心の花」所属。2016年、「魚は机を濡らす」で第62回角川短歌賞受賞。2020年、第一歌集『月を食う』で第64回現代歌人協会賞受賞。2022年度「NHK短歌」選者。神奈川新聞歌壇選者。
▼佐佐木定綱さんも御執筆の、「あの街、この街」のバックナンバーはこちら
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