「選手として駆け抜けた日々が、発想の原点です」為末 大(元プロ陸上競技選手)|わたしの20代
8歳から陸上を始めて、中学、高校と国内大会の短距離走種目で次々優勝。そんな中、世界ジュニア選手権大会に出場し、海外選手との力の差を目の当たりにしました。「短距離走では勝てない。でも技能と戦術で戦うハードルなら世界に食い込めるかもしれない」と種目変更したんです。
大学の陸上部では専属コーチはつけず、自分で工夫しながらトレーニングを重ねました。でもなかなか結果につながらなかった。「このままでは世界で通用しない」と海外に突破口を求めたのが22歳の時。今と違って練習拠点を海外に置く選手はいない時代でした。あの若さだからできた決断だったと思います。
アメリカやヨーロッパで受けた指導は非常にロジカルで、「こんなに明快に指導してくれるコーチがいるんだ」と感動したことを覚えています。それこそ、腕や脚の角度まで細かく指示されました。一方、練習が終わるとコーチは選手が何をしようが一切口を出さない。当時の日本の、科学的根拠のないトレーニングも混在した指導方法や、コーチが選手の生活全般を管理するような関係性になじめなかった私には、画期的に思えました。
ところが、なんでも分析し数値化する欧米型の科学的な考え方が、どこか浅いのではと疑問を感じるようになったんです。きっかけは、23歳で出場した世界陸上競技選手権大会での体験でした。男子400メートルハードルで念願の決勝に進出し、銅メダルを獲得した忘れられない大会ですが、実は決勝での走りをあまり覚えていないんです。ある瞬間から時間が経過する感覚がなくなり、無意識のうちにレースが終わっていました。それは、ロジカルな考え方では説明できない感覚でした。意識的に体をコントロールするという考えが強かった私にとって、無意識なのにうまくいったこの体験はなんだろうと、強く興味を持ちました。
大会が終わってしばらくすると、スランプに陥りました。どうやってもうまく走れない時期が26歳くらいまで続いたんです。スランプで引退を決意するアスリートは多いのですが、私もこの時期は本当につらかったですね。それでも引退を選ばなかったのは、全く違う練習メニューを取り入れたり、陸上の道がなくてもなんとかなると退路を想定することで、不安に押しつぶされるのをどうにか回避していたからだと思います。
貪るように本を読み始めたのもこの頃です。試合や練習で海外にいる時は、トレーニング時間以外はひとりで過ごすことが多かったので、陸上関連の本だけでなく、仏教哲学者・鈴木大拙の著書からダーウィンの『種の起源』まで、気になる本を片っ端から読みあさりました。そうやって、人間の内面やそのメカニズムについて思考を深めていったんです。
オリンピック代表に選ばれたのが22歳、26歳、30歳の時ですから、20代は陸上選手としてのピークそのものでした。駆け抜けるような日々の中で、科学的な世界と精神的な世界は本来融合すべきという考えは、当時すでに私の中に芽生えていたように思います。引退後、選手時代の体験を振り返り、人の潜在能力や可能性を包括的に捉えようという試みは、本を書いて自分の考えを伝えることにつながりました。思えば私にとって20代は、今の発想の原点を得た貴重な時間でした。
談話構成=ペリー荻野
▼為末さんの最新刊
出典:ひととき2023年10月号
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