こころを潤すもの

私は食器が好きだ。我が家で使う食器は、ほぼ全て私の一存で選んでおり、色は白・紺・茶色を基調としているもの、と決めている。そこに、たまに灰色が入る。

夫は食器に全く興味がないので、私がいくつか選んだものの中から選んでもらう形をとっている。私はあまり買い物自体好きではないのだが、食器コーナーは「見てもいい?」と訊いたりするので、夫も私の『食器愛』は分かるらしく、「どうぞ」と放っておいてくれる。

食器は好きだけれど、収集癖はないので、買って満足すると言うよりは見て満足しているのかもしれない。独身の頃は、作家さんのつくる素敵な焼きもののお皿や茶碗を買うこともあったが、結婚してからは自分個人のために買うことはなくなり、ちょっと寂しい。その分、きれいな食器の写真を見たり、お店で眺めたりして楽しんでいる。

100円ショップの食器も、最近は可愛いものが多いのでうれしい。値段の多寡に関わらず、自分が気に入れば大事に使うタイプだ。

ランチョンマットやコースター、箸置きなど、食器を彩るアイテムたちも大好きで、先日つい、コースターを衝動買いしてしまった。コースターはお茶の染みができたりして結構汚れるので、私の中では消耗品というくくりに入っている。『消耗品は、減ってきたら買ってもいい』という謎の自分ルールがあるため、買ってもセーフである。

***

食器に関しては、自分で料理を作るようになった大学生くらいの時からこだわるようになった。けれど、30歳過ぎまで親と同居だったため、完全に自分の自由になることはなく、いつもどこか不満があったように思う。

結婚して、食器棚の裁量権を私が持つことになったときは、すごくわくわくした覚えがある。色や形を統一して、多くを持たず、好きな食器だけを使う。この食器棚の中には私の好きなものだけしか入れない。

こういう時、私は頑固になりたくなる。

でも、現実はそこまで甘く(?)なく、母や義母、近所の方など、いろんな人が食器をくれるので、少々自分好みじゃないものも、結果的に食器棚の住人として迎え入れているのだが。

***

不思議なもので、食器はすごくパーソナルなものというか、「自分のもの」という認識を強く感じる物体だと思う。衣食住に関するものは大体がそうかもしれないけれど、マグカップやお箸などは特に「自分」を感じる。

口が触れるものだからだろうか。口から、食器という要素を体内に取り込んでいるように感じている可能性もある。食器がまとう色が食味に影響を与えるように、人は『食器という栄養』も取り込んでいるのかもしれない。

ちょっと話が飛躍した。

とにかく、私にとって、食器は道具であり、芸術品であり、心の栄養にもなりうる重要なものなのだ。今日も私は、お気に入りのお皿で朝食のパンを食べようと思う。お皿に描かれた藍色の雫で心を潤しながら。

サポートありがとうございますʕ•ᴥ•ʔいただいたお気持ちは、カードリーディングで循環させていただきます😊