「正しさ」で人は〇ぬ
私は、ほーーーーーーーーんとうに
人生を
びっくりするほど
遠回りをして生きてきて…
よく「〇殺」しなずに生きてこれたなって思う
今日この頃。
詳しくは「自己紹介」をご参照ください💛
人生が辛かったとかではなく
自分が自分を「〇しにかかってる」というのかな…
自分への許可が全くできない人生でした
「考えすぎ」のレベルではなく
「気狂い」レベルでした
最近、、、ようやっと
「大人の発達障害」なんていう言葉が
生まれたおかげで
「自分がとっても生きづらかった理由」が理解できて
自分への許可ができるようになったし
自分への愛が持てるようになった
それまで
自分がなんで生きているのか??
毎日
「〇にたい」
「楽になりたい」
そう強く思って
全身全霊で自分に「嘘」をついて
生きていた
自分の気持ちを露わにすると
120%理解してもらえないことが多々あり
だから
自分の気持ちを誰かに話しては
「ダメ!!!!!!」とインプットしたため
自分にも
他人にも
「嘘」をついて
生きる技を身に着けて生きてこれた
昭和54年に生まれた私は
「正義」とか「正しい」とか
「一般常識」とか「集団行動」とか
とにかく
「みんなとおなじ」が「よし!!」という世代だった
学校は休んでいけない
喧嘩はしてはいけない
人と違うことは迷惑なこと
学歴社会
年功序列
自分に厳しく他人に優しく
そんな感じが強めの世代
私の親は、比較的「自由」を売りにしてくれてはいたけど
結局「みんなとおなじ」を
見えないプレッシャーと期待で与えられて育ちました
私は、今でいう「繊細さん」「ADHA」
「溜息」「目線」「声のトーン」「機嫌」「雰囲気」
その部類を感じとることが、生きるバロメーターだったので
超絶敏感だったので
それは
それは
地獄のような
人生だった
「孤独でいい」はただの「拗ね」
こちらにも記載したが、
「何も感じないで、今を全力で楽しもうぜ!!!」
みたいな感じで生きる方が、断然お得!!だし
断然人に優しい!!
私みたいな人って
誰にも頼まれてもないのに
勝手に「悟って」
過剰に「受け取って」
全力で「尽くして」しまう
そして
そこに「自分が欲しい反応がない」と…
馬鹿みたいに凹んでしまう
ああ
私がした行為は「間違ってるんだ」って思って…
誰にも何も言われてないのに
全力で「自己嫌悪」に陥り
全力で「自己否定」に入り
全力で「死にたくなる」
挙句.…
その人のことを憎んだりして.…
マジ怖いwwwwwwww
要は
「正しさ」の中で生きていると
こうやって
「誰かのため」にという感覚が
強く育ってしまう
そして
誰かに「責められない」ように
勘ぐって「先読み」をして
間違いを犯さないようにする生きる
ビクビク間違っていないか
オドオド行動する
誰かが「ターゲット」になっていると
「あぁはなりたくない!」
「あぁならなくてよかった!」と安堵する
そこに自分が居ないことを、極度の安心感となり
それが強烈に強い「正解スタンプ」になる
それと同時に…
もっともっと「失敗」が怖くなる
このスタンプカードは
知らない間にどんどんたまっていく
どんどん蓄積されて
見えない負のエネルギーへと変換し
「失敗したら〇ぬぞ!!!」
という凄まじい恐怖のスタンプになってしまう
ことすら
知らないまま
ただ、年齢を重ねて生きている人が多い
そう
それが私だった
だから
ありとあらゆる
原因不明の「病」をほとんど体験して
自分で自分を「〇しにかかった」という表現になった
つづく
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