『対岸の彼女』小夜子と葵の問いと答え
角田光代さんの直木賞受賞作『対岸の彼女』を以前読んだことがありました。そして最近audibleで最初から最後まで通しで聴いてみました。
以前読んだ時に、この物語は「私たちは何のために歳を重ねるのか?」という問う小説だと思いました。(ご参照ください→https://hon-navi.com/archives/1096)
今回は聴いてみて、改めてこの問いについて著者・角田さんがどのような答えを出してくれているのかという点に注目してみました。
「私たちは何のために歳を重ねるのか?」という問いは物語の終盤に、主人公のひとり小夜子の考え事として繰り返し書かれています。その箇所を抜き出してみます。
「なんのために私たちは歳を重ねるんだろう。大きな窓の外、葉を落とした銀杏並木を眺め小夜子はぼんやり考える。」(p.310)
「なんのために歳を重ねたのか。人と関わり合うことが煩わしくなったとき、都合よく生活に逃げ込むためだろうか。」(p.311)
「私たちはなんのために歳を重ねるんだろう。遠ざかるクラスメイトに手をふり続けるあかりを見下ろして、小夜子はぼんやりとさっきの問いをくりかえす。」(p.314)
このように物語終盤で3回繰り返されています。ちなみに「あかり」とは小夜子の娘の名前で、保育園に通っています。小夜子は子育てをしながら働きに出ることに、娘のあかりちゃんに寂しい思いをさせるのではないかという後ろめたさを感じつつ、いったんは小さな旅行案内の会社で働き始めましたが、人間関係の煩わしさもあって働くのをやめてしまいます。さんな時に、繰り返されたのが「私たちは何のために歳を重ねるのか?」という自分への問いでした。
会社をやめたことで、あかりを保育園から退園させることとなりましたが、小夜子や考えた末、ファミリーサポートセンターで紹介されたシニア夫婦にあかりを預けて、もとの小さな旅行案内会社で仕事を再開することを決意します。あかりを預かってくれるシニア夫婦との最初の面談の時、シニア夫婦の特に妻のほうがとても喜んで、迷ったけどもっと早く登録すればよかった、「こんなにかわいい女の子とまた出会えるんだから」と笑顔をみせ、週末にお食事会をしましょうと提案されて、小夜子がハッと気づく様子が描かれます。それが次の箇所です。
「その思いつきに顔を輝かせ、早くも献立を考えはじめる妻を見ていて、小夜子はようやくわかった気がした。なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。」(p.321)
この部分が「私たちは何のために歳を重ねるのか?」という問いに対する角田さんの答えなのではないかと感じています。
私がこの小説にとても惹かれるのは、この「私たちは何のために歳を重ねるのか?」という問いが、小夜子の問いであるだけでなく、小夜子が勤める小さな旅行案内会社の社長の葵の高校生時代の問いとも重なり合っているところです。葵は高校生時代、親友のナナコとの逃避行の家出の後で、ナナコと再会し別れた後で、お父さんに心の中で問うかたちで次のような思いを表現しています。
「何のためにあたしたちは大人になるの? 大人になれば自分で何かを選べるようになるの? 大切だと思う人を失うことなく、いきたいと思う方向に、まっすぐ足を踏み出せるの?」(p.258)
この問いを抱いた葵が大学卒業後に立ち上げた小さな旅行案内会社「プラチナ・プラネット」に中途採用されたのが小夜子です。葵の問いは小夜子の問いでもあったのです。そして、おそらく私のような読者も感じる問いだと思います。
物語終盤にしっかりと問いの答えが提示されていました。こういう展開が素晴らしいなと感じています。角田さんの他の小説も読んでみたいと思いました。