122 派閥を作るぐらいなら議員数を減らした方がいい
ここから先は邪推です
今日は小見出しはこの一つだけだ。
さて、私は疑いだしたらきりがない人である。あるいは、疑いしか抱かず、なにひとつ解決できない人でもある。さらに、私が生み出す解決策はたいがい非現実的である。なぜなら、現実的な解決策は疑わしいからだ。現実とはそんなシンプルなものではない。ひとつの解決策が生み出す新たな疑問について、誰が責任を取ってくれるというのか。だったら非現実的な解決策の方が、自分としてはまだいい。つまり、現実では解決しないのだ。
そして、最終的に導き出した非現実的な解決策としてタイトルにした「派閥を作るぐらいなら議員数を減らした方がいい」である。
これは、私の偏見と自分なりに生きてきて見知ったことを重ねた結果である。それを人は「邪推」と呼ぶ。あるいは、「嘘から出た実」である。いや、ウソはウソだろうけれど。
派閥のことで揉めている自民党であるが、もちろんこういう騒ぎはすべて自分たちの政治の行方をはっきりさせるための一種の闘争である。戦っている人たちは、主に3人で、それぞれが派閥の解散を決めたり、派閥については保留としたり、こんなことで派閥は解散しないぞと決意している。
この話の根は、恐らく民主党が選挙で負けて自民党が政権を奪ってからはじまったことだ(邪推がはじまります)。
自民党は、二度と政権を奪われないような政治を目指しはじめた。その象徴が「改憲」(憲法改正)である。突然、改憲についてさまざまな意見を言う政治家が増えていった。そもそも改憲のハードルは高く、与党が一丸となったとしても実現できないかもしれない。
しかも、党内でも、改憲についての意見はバラバラでまとまっていない。一部はまとまっているけれど、細部では議員の数だけ意見があると言ってもいい状態だ。
これをどうまとめればいいのか。
「そうだ、派閥だ」というわけだ。
こうして派閥を強化することは、「改憲」という錦の御旗を掲げて、その多数派を築くためのプロセスとして、与党内に最大派閥を作り結束を強固にしたい。議員の結束を高めるにはどうすればいいか?
徹底した議論の上でしか生まれない、と思うかもしれないけれど、もっと簡単な方法がある。カネである。
派閥とカネを絡めることで結束は強固になる。同時に、この方法はすばらしくいい面があって(邪推につぐ邪推)、カネで縛ることと同時に、選挙に出る候補者を絞り込めてしまう。
改憲がより具体的に議論しはじめたときに起こりうることは、これまで政治に無関心だった者たちも憂国(大げさだけど、実際、そうだ)の士として立ち上がる大義名分が生じることである。
当選するために、大量の資金が必要になっていれば、そもそもカネのない人は選挙に出られないし、出ても当選できない。当選する人は、カネをしっかり選挙に使える人であり、企業など大口の献金をするいわゆる太客をがっちりと握っておかなければならない。
そうなると法律で違法とは言いにくいグレーゾーンを活用し、集金システムを作る必要がある。改憲派とわかると不買運動につながるかもしれないので、企業は正面から応援しにくい。裏からやりたい。企業が欲しいのは太客としての地位であって売名ではないからだ。むしろ名前は隠したいぐらいだ。
「どうやったら集金をもっと効率よく、そして大きくできるか」を考えたとき、シンプルに財布の数(議員の数)を増やせばいいのである。
派閥はパーティー券を派閥内の議員を通して太客に売る。つまり、太客を持っている議員を増やせば、集金は効率がよくなるし、規模も大きくなる。
この結果、「なんでこんな人が何年も議員をやってるわけ?」的な人たちが大量に議員になって居座る。さらに「なんでこんな議員が大臣なの?」という人たちが派閥を通しての人事によって大臣や副大臣をやれてしまう。
党から「いい加減にしろ」と言われたところで「じゃあ、これだけの議員をどうやって維持できるのか? 選挙にカネがかかるけど、そのカネはどこから持ってくるのさ」と言えてしまう。
つまり、勝手に選挙のハードル(おカネ)を高めておきながら、そのハードルが高いことを理由に、自分たちのシステムを正当化することができてしまうのである(邪推のパレードが続いております)。
もし選挙のハードルが低かったら、改憲を持ち出しただけで、あらゆる選挙区に「フツーの人」が立候補して当選してしまうかもしれない。この人たちがすべて与党とは限らないし、まして改憲に賛成するかもわからない。
二世、三世の議員はこの点で制御しやすいので、とても便利ですね(あくまで個人の邪推です)。最近は二世、三世ではなく、嫁の実家のヤツなど、婚姻関係、親戚関係までも動員しているから要注意だ。
もっとも、改憲については、ある時からトーンダウンしている。それは、風当たりの強さもさることながら、野党を強化する原動力となりかねないからであり、同時に与党内部の分裂を誘発しかねない。ここに手を突っ込むのは、上記のシステムが完成してからでいい、と判断されたのではないだろうか(邪推も極まれり)。
ただこの集金システムには大きな欠陥も存在する。
そのひとつが、いま繰り広げられている政治家の倫理面の崩壊である。記者会見をしても一方的に自分の言いたいことだけを言い放ち、同じことを何度でもバカみたいに繰り返す(「バカ」は失言なので取り消します)。こういった政治家が自ら政治家としての倫理をかなぐり捨てる場面が増えていることからも明らかである(証拠を出せ、という声には応じません)。
もうひとつは、財布を増やすために増えてしまった議員の管理ができない。議員はひとりで独立した議員である。派閥に入らなくてもいいし、どの党に属してもいいし、党に属さなくてもいい。自由だ。
こうなると、多数の財布を繋ぎ止めておかなければならず、政治をやる暇などなくなるのである。つまり、政治の劣化である(そのエビデンスを示してくださいと言われてもしないけどね)。
こうして派閥とカネの問題が浮上した結果、次に考えることは「むしろ議員を減らすべきではないか?」だろう。制御できない数を抱えるよりも、制御可能な数で勝負した方がいい。
憲法改正の国会発議に必要な3分の2の議員数を確保するには、極端にいえば国会議員を6人に減らしてしまえば簡単だ。4人が賛成すればいいのだから。
議員数を減らす方向の提案がもし可能なら、かなりの賛同を得る可能性がある。だいたい国民は議員をそんなに覚えられない。衆院議員465人、参議院248人もいるのである。46人と24人にしても、覚えられないけれど、これぐらいなら「おれ、全部言えるぜ」と自慢する人は続出するだろう。
東海道本線の駅は186駅あって、これを暗記している人はけっこういても不思議ではないから。
つまり、派閥をつくるよりも、議員数を減らした方がいいのである。もともと議員が少なければ、カネを使うかどうか以前に、選挙で当選するハードルは上がるわけだし。カネもいらないし。企業から「言うことを聞いてね」なんて言われることもないし、冠婚葬祭に出る必要もなくなる。
こういうと「議員は忙しいのだ」とおっしゃる。だけど、その半分は選挙のために使われている(と邪推する)。自分たちの政治活動そのものが選挙活動となるのなら、その半分の時間も政治に使うことができるはずだ(半分かどうか明確なデータを出して欲しいけど、もちろんない)。
政治家はひたすら政治のみに力を入れていくので、国はとてもいい状態になっていく可能性もある。
「委員会がいっぱいあって、それに対応するのも大変」というけれど、そもそもこの委員会制度は、議員がたくさんいて暇だと「あいつ働いてないじゃないか」と言われるのが嫌だから生み出した仕組みだから(うわっ、すげえ邪推)なくても、なんの支障もないのである。
あるいは議員数を減らせば、ひとりあたりの案件数は増加するので、きちんとそのための秘書や専門家を議員自身が雇えばいいのである。それぐらいのカネは国家予算から出してもいい。スタッフを抱えた国会議員が、さまざまな案件にぶつかっていく様子は、毎日のようにニュースで報じられるだろう。密着カメラもつくかもしれない。議員たちの発言や行動は、多くの国民から関心を持たれるだろう。
こんな邪推を聞かされている夢を、今朝見たのである。