319 ちょっと不便な生活
これだけ便利な世の中で
これだけ便利な世の中で、少し不便な点を発見するとクレームを入れたり文句を言いたくなる人もいるかもしれない。「ここがダメじゃないか」とか「ここが不便すぎる」といった文句は、カスハラになりがちだけど、重要なフィードバックとなることもあるからビジネス上では無視しにくいだろう。
だけど、便利な世の中だからこそ、少し不便に生活するってのも、人間としてはありじゃないかと思ったりする。
「それは贅沢な遊びですよ。こっちはそもそも不便すぎるんだから」と文句を言われるかもしれないけれど。
私の住んでいるところには最寄りの地下鉄駅がある。多少の雨ならダッシュすればほとんど濡れないぐらいの距離(走る速度しだい)。これは便利。暑いときはとくに、駅へ入ってしまえばかなり涼しい。快適である。
そこであえてひと駅ぐらい歩く。酷暑のときは気をつけないと倒れてしまう。まるで砂漠を旅するような覚悟である。危険だ。決死の旅である。
おっと、しかし。ここにはオアシスが多すぎる。コンビニ。自販機。コンビニ。自販機、自販機。役所の出張所。涼めたりトイレ借りられたり、冷たい飲み物を補給できる場所ばっかりである。
その誘惑を断つことはなかなか難しい。
それを当て込んでか、コンビニのアプリでは飲み物についてのお得な情報が連日入ってくる。これを20円引き、あれを買うとこれはタダ、といったお誘いだ。
そういえば、「西遊記」では、荒野を旅する三蔵法師たちに数々の誘惑が襲いかかる。食べ物、飲み物、美しい異性、らくちんな乗り物……。それはことごとく、高名な僧侶を食ってやろうとする悪いやつらの企みで、仏教的説話の側面もある。突然だが、中学生の頃、ミステリーのほかに夢中になっていたのは「西遊記」と「平家物語」だった。妙な学生だ。
平凡社から美しい箱に入った上下二巻の「西遊記」があって、なにしろ全百話完訳なのである。似たような話もあってダレる部分も含めておもしろかった。なんであんなに夢中だったのだろう。普通にテレビの「西遊記」でいいのにね。
それはともかく、つくづく、いまの時代は便利だ。これだけ便利なのにコスパ、タイパとさらに上を行こうとする人間のあさましさ(いや、それは言い過ぎだろうけど)。
トレードオフな生活
この前、こんなことも書いている。
もちろん、そんなことがすべての人に当てはまるわけじゃない。寒い地域の人からすれば陽当たりのいい家、部屋こそが冬を快適に過ごすための条件かもしれない。
それでも、どこかに不便さが潜む快適さというものもある。たとえばハンモックはそのひとつ。いかにも優雅で快適そうだけど、ずっとあれでいいと思う人はあまりいないのではないだろうか。
昔読んだ本では、船倉にハンモックを吊って寝る光景が仔細に書かれていた。あれは「白鯨」だったかな。「ホーンブロワーシリーズ」だったかな。忘れたけど。とても快適とは言えない。
あっちが立てばこっちが立たず。トレードオフな関係は、日常のいろいろな場面で見られる。なにかを犠牲にして獲得する。それはオリンピックで普通に見られる世界だ。人生を、時間を犠牲にしてなにかを得るわけだから。
それに比べれば、少しぐらい不便な生活をするぐらい、大したことではない。前提として、なにもかも便利とはいかない、としておけばいいだけのこと。
PayPayを使うにしてもガンガン勧めてくる銀行口座やクレジットカードとの連携をせず、わざわざセブンのATMで最小限だけ入れている。この程度の不便さはそれほど苦にならない。
なくてもいいものは買わない。それでも推奨されると必要なものに思えてしまう。その時は捨てるときのことを考える。いまの時代、物を捨てるのも大変なのである。燃える、燃えない、リサイクルできる、できない、30センチ以上なら粗大ゴミ、といったさまざまな決まりをクリアしないと捨てられない。だから買わない。
自分が許容できる不便さの上で、快適さを求めればいいのかな、と思ったりする。