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369 何を食べたいか?

どうしてすぐ思いつかないのだろう

 「買い物へ行くけど、今晩、何食べたい?」
 こういう問いかけをされたとき、どういうわけか、すっと出て来ない。じゃあ、食べたいものはないのか、と言われるとそんなことはない。生きている限り、何かは食べたい。食べ続けたい。
 テレビで「宝くじが当たったらどうする」みたいなCMが入る。「宝くじが当たったら何食べたい?」と問われて、すぐ出てくるだろうか。バカみたいに「一番高いやつ」なんて答えてしまいそうだ。
 確かに、日々の食べ物は、常に財布との相談である。財布あるいは銀行口座の残高、あるいはPayPayの残高、さらにはどこそこのポイントと相談して決まる。
 2人の食卓の予算はいったいいくらなのか?
 今夜だけ特別に1万円かけたとしよう。1万円だよ! たいがいの食材を買える。もちろん、カニとかウニとか松茸とかいくらでも1万で買えない食材はあるだろうけど、これはうちの近所のスーパーで買うのが前提だから。
「トマトが高くて買えない!」という話があって、「3個で590円もする」といった話があったとして、では買えないのかと言えば、590円は出そうと思えば出せる。ただ、それでは買う人は納得しない。「4個で399円だった」とトマトを買ってくる。それはセーフなのである。
 このとき、別に行動経済学を持ち出すわけでもなく、私たちの中には「ある一線」があって、それを超えたらアウトなんだな、と感じる。その線引きは人によって違うし、たとえば冒頭のように「今夜は1万円」といつもとは違う条件を付けると、その時だけは解除となる。
 ところが、解除されたとしても、やっぱり線引きは残っていて、それを基準に考えてしまう。
 この妙な線引きがある人は、「何食べる?」と問われたときに、そこも気になるから、すぐには「これが食べたい!」とは言えないのである。

食欲の限界

「ぐるナイ」という番組の「ゴチバトル」が好きだ。高級店へ行き番組向けの高級食材をふんだんに使った料理を食べつつ、設定された金額に合うように注文する。価格は知らされていないが、メインの料理はだいたい5000円から1万円(最近は1万を超える一品もある)。
 ただし、私がこの番組の好きなポイントは、実は食べ物がメインではない。楽しく明るくなにかを食べている姿。それがおもしろいのである。まるで自分がご馳走しているかのような気分というべきか。「何食ってもいいぞ」なんて感じである。さらに「えー、伊勢エビ使っているって言うのにその値段かよ」と突っ込む。テレビを見ている側には価格が知らされることもあるから、それを当ててみる楽しみもある。
 こんなことを言ってはなんだが、大物ゲストに限って暴走して自腹になろうとすることもあって、これなんて間違いなく「ご馳走してやる」と意気込んでいるんだろうと思う。ところがその大物ゲストより暴走して食ってしまっているレギュラーが現われる、なんて展開が好きだ。
 じゃあ、もし自分がその席についたら何を頼むだろう。これは難しい選択だ。正直、あそこに登場するような品物は一皿あれば十分だ。あとは酒があればいい。何品も頼む気がしない。
 若いときなら「メニューの端から端まで」みたいなこともやってみたいと思ったけど、串揚げ店でコースを2周しても足りない友人とは違い、私はやっぱりそこそこで止まる凡人である。シェラスコだって、友人たちは何度も何度もおかわりをしていたが、私は3種類も食べたらもういいな、と思ってしまう。焼き肉でも、タン塩、カルビ、ハラミ、ロースと頼んだら、もうオシマイである。
 食欲はある。だけど、そんなにはいらない。これが恐らく年を取ったってことなんだろう。しかも、それがそれほど残念でもないのは、バブル期にたまたまいいものを食べた経験があるからかもしれない。その結果として、何度も食べたくなるものは、それほど多くはないと知った。寿司、鰻、ステーキ。ほかにあまり思いつかないのである。恐らく、日本にやってくる外国人旅行者の方が詳しいだろう。
 そこに、価格的な「一線」が加味されるので、「今晩、何食べたい?」と問われても、いつも同じようなものばかり言ってしまい「また?」と却下されるのである。却下されるに決まっているので余計に思いつかなくなる。
 さて、自分はいったい何を食べたいのだろう。

ホラーではありません。


 

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