291 決まり切った時間
同じ時間に書く習慣
同じ時間に書く習慣、ちょっと韻を踏んだ感じがしなくもないな。
要するに、多くの先生たち、作家たちが、執筆時間をちゃんと持とうと言っている。できれば同じ場所(書斎!)、同じ時間にとにかく書くこと。
なるほど、それは素晴らしいことだし、恐らく職業として作家、文筆業を選んだらいずれにせよ、そうなってしまうことだろう。
ニワトリが先かタマゴが先か。仕事になったのでそうするのか、そうすることで仕事になるのか。
それはケースバイケースなのでなんとも言えない。
個人的には確かに時間は重要だ。職業として文筆業(ライター)をしているとき午前中は執筆にあてた。昼を食べたら気が散っていく。午後は取材や打ち合わせの時間。あるいは遊び。情報収集の時間。そして夕方の4時頃から再び集中できる時間が始まる。そこでまた執筆するのだが、午前中とは違いここでの執筆や企画案は「明日のため」にやる。いわば準備だ。これをやって一日を終える。やらないと、明日の午前中のスタートダッシュができないのである。
夕方にやりかけたことは、夕食後も、酒を飲んでいても、映画を見ていても、頭の片隅に残る。睡魔に襲われて眠ってしまっても、脳内でそれは働いている。
だから夜中にふと起きてメモを取ったりする。昔はマジでメモを取るのだが、電気をつけることになるので本当に目が覚めてしまう。いまはスマホを開いてドロップボックスにテキストでメモをするだけだから、周囲に迷惑になるほど明るくはならないし、こっちも睡眠の続きができる。
こんなことを10年単位でやっていたら、私の場合だけど、別に時間に拘らずに執筆できるようになった。いや、それはあまりにもカッコよすぎる。決まり切った時間に書けなくても、焦らなくなった、と言うべきだろう。
2時半にふと起きて書く
犬のいる生活は、朝が早い。夏時間だと4時半頃には犬は、ごそごそとしはじめる。だから、このところ、夜は10時前に寝てしまう。6時間は確保したい。7時間以上眠れるかどうかは犬しだい。「犬の生活」は、チャップリンの映画のタイトルであり、東京の日本橋か銀座にあるペット用品の店であるけれど、私は自分の生活スタイルを「犬の生活」と思っている。犬と共に起きて寝る。これは、おそらく何万年も昔の人類もやっていたことだ。
で、今朝は2時半にそれがやってきた。
私は目が覚めるか覚めないかの状態で作品のことをあれこれ考えていた。目が覚めたので作品のテキストファイルをスマホで開く。すると、そこに書くべき言葉がつぎつぎに浮かんできて、作品の余白を埋めていく。あるいは脆弱だった文章に、別の角度からパンチを食らわせることに成功する。
そしてまた私は眠る。
午前中、いろいろあるので以前ほど執筆に集中できない。今日も医者のところへ行ったり、メガネ屋に寄ったりしていたら昼になってしまった。自分の体、そして大事な目に関することだから、この時間は必要だった。
それでもこのnoteを書くのは昼食後とだいたい決まっている。遅くとも3時までには書き上げる。できるだけ30分程度で書き上げる。書く内容はその日その場のアドリブだ。ここまで書いてそろそろ制限時間が来る。
スティーブン・キング『書くことについて』をパラパラ見る。「私の日課はじつにわかりやすい。午前中は執筆。午後は昼寝と手紙。夜は読書と家族団欒、テレビでレッドソックスの試合、どうしても後まわしにできない改訂作業」(P203)。「一日の目標は十ページ、二千語だ。三ヵ月なら、十八万語になる」(P204)。
やっぱり規則正しい執筆を推奨している。
だけど、それは原則であって、長い執筆期間には、例外的なこともあっていいだろう。
ちなみに、眠る前にスマホを見るな、とよく言われる。だが、これも慣れの問題で、私はスマホを見てもぐっすり眠れるので気にしていない。枕元にスマホを置いていてとくに問題が起きたことはない。